史学科:2012年度卒:吉水拓哉:近代イギリスにおけるオリエンタリズム
目次
自己紹介(現在)
本学の図書館で働いています。大学卒業後は大学院に進学し、史学専攻(西洋史)で修士論文を提出しました。大学院修了後は大学に就職し、図書館に配属されました。
この企画は他大学の取り組みを参考にしているのですが、自分が大学3、4年生だった頃を振り返ってみると、卒業論文はどうやって書くんだろう、という漠然としたモヤモヤが付きまとっていた記憶があります。同じ思いをしている人が多いのでは?と思い、本企画を立ち上げました。院生アルバイトと企画内容を検討している中で、自分も書いてみようと思い立って書き上げました。だいぶ前の例で恐縮ですが、少しでも参考になれば嬉しいです。
自己紹介(学部生の頃)
歴史は小学校の頃から好きで、偉人の伝記漫画を図書室でよく読んでいました。中学・高校でも歴史好きは変わらず、将来を考えたときに「博物館で働いてみたい」という思いから、史学科のある本学に進学しました。
入学当初は考古学を専攻しようと考えていましたが、講義を受ける中で考古学>日本史>東洋史>西洋史と興味関心が移り替わり、西洋史のゼミに入りました。ただ、英語はとても苦手でした。もちろん今も苦手です。
西洋史ゼミに入ってからは、美術史や文化史にも興味がわいたので、西洋史の講義だけでなく文学科(英米)のヨーロッパ文化や仏教学科の仏教美術史も受講しました。一見、勉強熱心な人と思われるかもしれませんが、大学生活で楽しかったのは陸上部です。本題から逸れるのであまり語れませんが、トラックを1周する400mと2周する800mの選手でした。講義後の練習が毎日楽しみで、資料よりも陸上の道具をたくさん持って大学に通っていた人間です。そんな部活人間の「学部生必見!私の卒論回想録」をお楽しみください。
卒論概要
オリエンタリズムとは?
「近代イギリスにおけるオリエンタリズム」というタイトルですが、オリエンタリズムという言葉を見聞きしたことはありますか?この言葉との出会いは後述しますが、英語では「orientalism」と表記します。東方、東洋と訳す「orient」の派生語です。一般的な辞書では東洋趣味、東方趣味と訳されます。
図書館が契約しているデータベース「JapanKnowledge」で検索してみると8件(2023年12月時点)ヒットします。『日本大百科全書』に詳しく記載されているので、気になった方は調べてみてください。ここでは簡潔に紹介しますが、オリエンタリズムは18-19世紀頃にヨーロッパで流行した文化芸術様式の一つです。音楽や演劇、文学などでオリエント(ヨーロッパから見た異国)を主題とする作品が多数生まれました。私はその中でも絵画に注目し卒論を書きました。ピラミッドや聖地、奴隷などを含めたハーレム(後宮)、礼拝堂や祈りの場面など様々な場面が描かれ、総称してオリエンタリズム絵画(olientalist painting)と呼ばれています。
具体的な内容は?
オリエンタリズム絵画の主題の描かれ方に、画家の出身国による傾向があるのでは?という仮説のもと、フランス人画家とイギリス人画家の作品を比較し、イギリスにおけるオリエンタリズム絵画の特徴を論じました。結論として、フランスのオリエンタリズム絵画に見られる暴力性や官能性といった表現は、イギリスのオリエンタリズム絵画には確認することができませんでした。イギリスのオリエンタリズム絵画には風景画や風俗画が多く、画家たちは、目に映った光景をありのままに描く傾向にありました。
10年前の記憶を思い出すと・・・
■3年生
3月頃…卒論のテーマを決める
■4年生
4月頃…ゼミの先生に大学院に進学したい旨を含めて相談し、根幹となる資料を読み込む。
5-6月頃…ゼミで卒論の概要について発表する。(こんなことをやりたい程度)
6-7月頃…英語の勉強を含め、「olientalism」の英語Wikiを読む。陸上部引退。
8-9月頃…オリエンタリズム絵画の作品をネットや本から集めて、分類する。
10月頃…本格的に卒論を作成し始める。まずは序章から。
11-12月頃…年内にはWordで作成し終える。最後に序章を修正。
年末年始…手書き卒論の執筆作業!
1月上旬…期限前に提出。友人の卒論のお手伝い。
1月中旬…大学院入試に向けて過去問を用いて対策勉強(主に英語)+出願
1月下旬…口頭試問。(事前に卒論を読み直す)
2月中旬…大学院入試(筆記試験+面接)人生で一番緊張した面接でした…
2月下旬…合格発表
3月頃…大学院に向けて勉強していたと思います…
オリエンタリズム絵画に出会うまで
学部2年生 -中東への興味-
中東という言葉を目にすると、蛇を操る笛の音色、ラクダに乗りターバンを巻いた商人、活気に溢れるバザール等、様々な情景を思い浮かべるかと思います。自分がいつからそのようになったかは覚えていませんが、アジア諸国や欧米諸国とはまた違う国々として中東を捉えていたのは確かです。
そんな中東のイメージが鮮明になり始めたのは、ゼミの自由課題で『アラブが見た十字軍』(ちくま学芸文庫、2001年)を読んだことに端を発しています。発表したレポートの序文に以下のように記していました。
“書店や図書館で見かけることができる十字軍に関する書籍のほとんどが十字軍視点で書かれている。しかし今回紹介する『アラブが見た十
字軍』は題名通りアラブ視点で、アラブにとって十字軍とは何であったのかについて書かれている。”
書店でコレだ!となった感覚は今でも覚えています。これまで抱いていた十字軍のイメージが一変し、見る視点によって歴史は異なる、という点を学ぶことができました。この学びは、振り返ってみると、中東への興味が「ヨーロッパ人が描いた中東=オリエンタリズム絵画」に繋がる出発点です。
学部3年生 -オリエンタリズム絵画との出会い-
3年生の当初は、漠然とイスラーム美術に興味を持っていました。学芸員を志していたこともあり、モノに焦点をあてて卒論を書いてみたいと考えていました。そのため、西洋考古学や美術関連の講義を受けていました。しかし、テーマを絞ることができず、熱心に勉強する訳でもなく、時間だけが過ぎていきました。
テーマを絞るきっかけは、後期の期末テストが終わった頃に何気なく新聞をめくっていた時に見かけた美術検定の広告でした。(いつも新聞を読んでいる訳ではなく、本当に偶然です。)この広告を見た時もコレだ!となり、急いで試験問題集を買いに行きました。そして、ついに、この試験問題集を通してオリエンタリズム絵画と出会うことができました。(美術検定は3級に合格することができました。)
美術検定の問題集で目にしたオリエンタリズム絵画は、ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル作〈グランド・オダリスク〉1814年です。クジャクの羽を用いた扇を持ち横たわる裸婦が描かれており、卒業論文の中ではオリエンタリズム絵画における官能的な作品の先駆けとして位置付けました。
オリエンタリズム絵画と卒論
テーマを絞るまで
卒論のテーマは決まりましたが、具体的に調べたいことは何も決まっていませんでした。単純にオリエンタリズム絵画って何なんだろう、どんな作品があるんだろう、という興味関心からスタートしました。ゼミの先生とも相談して、次項の2点について調べることにしました。それまで図書館は、課題に取り組む時しか利用していませんでしたが、調べたいことができてから積極的に利用するようになりました。
①オリエンタリズム絵画について
いざ図書館に向かい、蔵書検索で「オリエンタリズム絵画」と検索しても何もヒットしませんでした…。「オリエンタリズム&絵画」で検索しても同様です。いきなり壁にぶち当たりました。仕方がないので周りから攻める為に、オリエンタリズム絵画が流行った19世紀の絵画史について調べることにしました。その際に参考にしたのが『世界美術大全集20:ロマン主義』小学館,1993年です。
『世界美術大全集20:ロマン主義』では、テーマごとに作品とテーマ説明、作品解説が掲載されています。そこで三浦篤の論考「アカデミスムとオリエンタリスム」に出会うことができました。ここでは19世紀フランスにおけるオリエンタリズム絵画を中心に全体を論じられており、何度も読み込む内に「イギリスでは?」という疑問が湧き、卒論のテーマにまで繋がることになりました。※三浦氏の論題はオリエンタリスムとなっていますが、これはフランス語の発音のためです。
もう1冊テーマを絞るきっかけになった図書があります。『美術史を解きはなつ』時事通信社,1994年です。この資料は、学芸員資格課程の講義で美術を担当していた先生に教わった資料です。(自分で検索したり、書架を眺めたりするだけでは出会えませんでした。)講義の中で展示を企画する課題があり、オリエンタリズム絵画の企画を発表し、卒論で書く旨をお伝えしたところ教えていただきました。『美術史を解きはなつ』では、幸運なことにオリエンタリズム絵画を巡る問題点が整理されていました。問題点について説明すると長くなるので省きますが、本書のお陰で、アメリカの美術史家リンダ・ノックリンの論考「虚構のオリエント」、そして日本で開催されたオリエンタリズム絵画の展覧会といった情報に繋がりました。こうして振り返ってみると、『美術史を解きはなつ』に出会うことができなければ修士論文は書けなかったかもしれません…
②オリエンタリズムについて
オリエンタリズムを調べる上で、避けては通ることができない資料がありました。エドワード・サイードによる『オリエンタリズム』平凡社,1993年です。何度も心が折れながら読みました…。難解過ぎて、本文よりも巻末の訳者あとがきや解説を読み込んでいました。他にも、本書についての書評や紹介文等を読み漁りました。自分の理解が正しいのか自信が持てなかったのですが、ある書評を読んだところ、数ある指摘の1つが自分の考えと同じだったときは安心したことを覚えています。興味のある方は、ぜひお手に取ってみてください。
『オリエンタリズム』を理解するために探した文献の中に、ノックリンの論文と同様に大学院の研究にも繋がる資料に出会いました。イギリスの帝国史家ジョン・マッケンジーによる『大英帝国のオリエンタリズム:歴史・理論・諸芸術』ミネルヴァ書房,2001年です。マッケンジーはサイードの理論に対し、建築や音楽、舞台、そして絵画を用いて歴史家の立場から反論を行っていました。史学科の私にとって本書はバイブルでもあり、同時にてっぺんが見えない壁でもありました。
テーマを絞る
卒業論文の論題を提出した時点では、イギリス人画家によるオリエンタリズム絵画を扱う程度には決まっていたので、広く解釈できるように「近代イギリスにおけるオリエンタリズム」としました。何度も上記に挙げた資料を読み直し、自分なりの問題意識が絞られてきたのは、9月頃だったと記憶しています。10月にゼミの先生に提出した序文には以下のように記載していました。
“本論考では、イギリスのオリエンタリズム絵画に重点を置き、フランスの作品と比較することで相違点を明らかにしていきたい。そしてその
結果を踏まえて、当時の西洋と東洋の関係性を述べていきたい。”
上記文章には先生からたくさんのご指摘をいただきました。卒論を提出した時点では以下のように記載していました。
“したがって本論文では、イギリスのオリエンタリズム絵画に重点を置き、フランスのオリエンタリズム絵画と比較することで相違点と特徴を
明らかにし、私なりにオリエンタリズム絵画を再分析する。そしてその分析を踏まえて、当時の西洋と東洋の関係性を考察したい。”
先生にはこの場を借りて改めてご指導ご鞭撻いただいたことに深く深くお礼申し上げます。
ちなみにイギリス人画家によるオリエンタリズム絵画を扱うきっかけは下記の2作品です。
・ウィリアム・ホルマン・ハント〈贖罪の山羊〉1854-55年
・ジョン・フレデリック・ルイス〈ハーレム〉1850年頃
特にハントの〈贖罪の山羊〉は、修士論文においてハントの日誌や論考も用いて分析を行いました。死海を背景に1頭の山羊が描かれたこの作品を初めて見たときは、なぜこれがオリエンタリズム絵画と呼ばれるのか理解ができず衝撃を受けました。
近代イギリスにおけるオリエンタリズム:目次
序
第一章 オリエンタリズム論争
第一節 ノックリンの説
第二節 マッケンジーの説
第三節 考察
第二章 オリエンタリズム絵画
第一節 19世紀以前のオリエントを主題とする絵画
第二節 ナポレオン以後
第三節 考察
第三章 イギリスのオリエンタリズム絵画
第一節 イギリス美術
第二節 イギリスのオリエンタリズム絵画
第三節 分析
終
一問一答形式でお伝えしていきたいと思います。史学科を卒業した先輩として、史学専攻を修了した先輩として、大学の図書館で働く先輩として、回答させていただきます。明確にどの立場からの回答か整理できませんが、予めご了承ください。
質問 | 回答 |
---|---|
卒業論文を製作する上で一番大変だったことは何ですか? | 論文として文字を書く(打つ)ことです。文章に自信が無かったので、長文にならないよう気をつけていました。 |
卒業論文を仕上げて良かった点はありますか? | 卒論の内容を誰かに話す機会はほとんどありませんが、他人と比べて「自分は詳しい」と思うことができるテーマがあることは自信に繋がっています。 |
史学科・史学専攻を卒業・修了して良かったことは何ですか? | 調べることが苦では無くなりました。面倒よりも知りたいと思う気持ちが勝ることが増えました。 |
史学科の学生に一言 | 何故?という疑問をいつまでも忘れずに! |
西洋史の学生に一言 | 文献が少ないかもしれませんが、探せば見つかることも!困ったら図書館にご相談ください。 |
学部生の頃に戻れるとしたら何をしますか? | 1に英語の勉強、2に英語の勉強、3・4が無くて、5に英語の勉強… |
学年別のやるべき事はありますか? | ・1年生…本を探す、気になる分野の概説書を読む ・2年生…論文を探す、論文を読む ・3年生…論文を集めてみる、集めた内容を整理する・まとめる ・4年生…読み手を意識して執筆する 普段の授業課題で+αで頑張ってみると、卒論を書く時に困らないと思います。 |
実際に書く時のコツはありますか? | ・1文1文が短くなるように意識していました。 ・自身の文章を文法的に見直していました。 ・読み返すときは声に出していました。 自分にあった論文等の書き方本が手元にあると心強いと思います。 まずは図書館で「レポート&論文」と検索するのはいかがでしょうか? |
卒業論文・修士論文を制作して感じたこと
「後輩へのメッセージ」でも触れましたが、改めて卒論・修論を制作して感じたことをまとめます。製作中は負の感情(大変、難しいetc)が占めていましたが、改めて振り返ってみると、今の自分には欠かせない要素が見えてきました。
物事に取り組むクセ
私は与えられた目標に対して、自分でプラスαする癖があります。特に時間関係です。この癖が卒論・修論の制作中は提出日についてポジティブに作用していました。学部・研究科で定めた期限日よりも早く提出することに決めていたので、余裕をもって取り組むことができました。また、早い提出日に間に合わすためには、今自分ができること・できないことを意識する必要があったので、必要以上に悩むことがありませんでした。悪く捉えると、時間を意識しすぎるあまり、細かい点を軽視することもありました。社会人になってからは余った時間を有効に使うよう心がけております。
何かを理解するときに、何とか単純に理解しようとします。この癖は修士論文の提出後から顕著だったと思います。見たり聞いたりしたことを頭の中で→や表を用いて情報を整理します。現在では新しいことに取り組む時や問題解決に取り組む時に役立っています。その反面、どうしても単純化できない要素を取りこぼしたり、例外として無視してしまったりすることがあります。この短所は、整理した内容を他人に伝えて意見や指摘をいただくことで補うように気を付けています。
行動に移すときは、すぐに動きます。考える前に動きます。動いてから後悔することが度々あります。卒論・修論制作時には、資料が足りないとわかると、すぐに手に入れようと行動に移しました。本学所蔵資料の場合は問題無いのですが、他大学等の図書館を利用するには手続きが必要なため、事前に調べておけば良かった…何度も思いました。しかし、後悔・反省することよりも、良かったとポジティブに捉えることが多いです。何度も他大学等の図書館を訪れたため、思いがけない資料に出会うことができました。さらに言えば、現在は図書館で働いていますので、他大学の図書館を多く使用した経験は業務の様々な面で活きています。
無理やりまとめると
卒業論文/修士論文の制作は、専門的なことを知る以上に、自分自身について知ることができる機会だと思います。自分一人でテーマを決めて、問題点を洗い出し、その問題を解決する。それを長期間にわたって取り組む。大変かもしれませんが、大学生の特権だと思います。ぜひこの機会に自分自身について知り、次の何かに繋げてみてください。私の卒論回想録が少しでもお役に立てば幸いです。
卒論の内容をもっと詳しく
卒業論文「近代イギリスにおけるオリエンタリズム」では、エドワード・サイードの理論(西洋による東洋へのステレオタイプな思考様式)を絵画に援用したリンダ・ノックリンに批判的立場で、イギリス人画家によるオリエンタリズム絵画を分析しています。ノックリンが分析した作品(フランス人画家・ジャン=レオン・ジェローム〈蛇使い〉1879年)は、あまりに作為的であり、オリエンタリズム絵画に描かれる官能性や暴力性といったネガティブな要素は一面に過ぎず、そのような要素を含まない作品が存在するためです。特にイギリス画家によるオリエンタリズム絵画では、例えば同じハーレムを描いた作品でも女性が肌を隠している等、ネガティブな要素を見出すことができませんでした。このような描かれ方の違いを、絵画史の成り立ちが異なるのではと仮定しています。
この仮定を実証する為に、19世紀以前のオリエント描写を含めオリエンタリズム絵画を自分なりに定義し、イギリス絵画史を概観しつつ、イギリス人画家によるオリエンタリズム絵画とフランス人画家によるオリエンタリズム絵画を比較検討しました。その結果、ネガティブな要素よりも、ある種のオリエントへの羨望を見出すことができました。
修士論文について触れてみると
修士論文「ラファエル前派とウィリアム・ホルマン・ハント」では、イギリス人画家ウィリアム・ホルマン・ハントに注目し、彼が描いたオリエンタリズム絵画を通して、卒業論文で見出したオリエントへの羨望の一要素を確認した。
概要については、立正大学大学院文学研究科発行の『大学院年報』に掲載されております。また、修了後には立正大学史学会で報告する機会を頂き、その内容を基に『立正史学』に論稿を掲載いただきました。そちらもよろしければご一読ください。
「修士学位論文の概要:史学専攻」大学院年報(33),57-58,2015
「オリエンタリズム絵画の宗教画 : W. H. ハントの《贖罪の山羊》を中心に」立正史学(118),1-20,2015