第54回企画展「知を刻む:印刷の歴史と書物のかたち」デジタル展示
ごあいさつ
立正大学品川図書館では、2026年の開館100周年を記念して「知を刻む」と題した展示を企画しました。前段となる昨年10月には、「知を刻む:版元が紡いだ書物世界」として近世を中心に活躍した日本東西の版元を紹介しました。第2弾である今回の第54回企画展「知を刻む:印刷の歴史と書物のかたち」では、「印刷・出版史」と「装幀・書型」をテーマとし、日本にとどまらず東洋・西洋の印刷物も紹介しつつ、特別展示室(13号館)・図書館(11号館)・古書資料館(8号館)の3会場で、本学図書館所蔵資料を用いた展示をおこなっています。
「印刷・出版史」による世界観の変化といえば、聖書を活字印刷によって広めた15世紀の「グーテンベルク革命」が有名ですが、特別展示室では「グーテンベルク42行聖書 〔零葉〕」をご覧いただけます。また、「東禅寺」蔵版『大般若波羅蜜多經』(12世紀)や、ちりめん本も併せて紹介しています。長谷川武次郎によって明治期に作られたちりめん本は、まるで縮緬のような和紙に印刷され、海外に日本の文化を伝えることにも役立ちました。
私たちが普段手に取る本の大きさは、文庫・新書・単行本などが一般的ですが、本展示では文庫よりも小さい「豆本」から地図などに用いられた、かなり大きな「畳み物」まで紹介しています。
最近紙の本に代わって流通が進んできている電子書籍には、表紙の画像はもちろんあるのですが、本を手にする時のときめきは若干薄れるように感じます。かつて読んだ本を想起するとき、その表紙や判型、挿し絵などの造形も一緒に蘇ってこないでしょうか。単に知識を伝える「書物」を超えた、このような本の造形美術が、今後も廃れることなく続くことを切に願わざるを得ません。
最後になりましたが、本企画展開催にあたり、ご協力を賜りました関係各位に厚く御礼申し上げます。
2026年2月吉日
立正大学図書館長 髙橋 美由紀
概要
本展示について
書物は、知を記録し、伝えるために生まれました。印刷技術の発展と普及は、知の流通を加速させ、社会や文化のあり方に変化をもたらしてきました。その過程で、さまざまな印刷技術が生まれ、書物の装訂法や書型も姿を変えていきます。それらは時に利便性を超えた部分で評価され、書物そのものの文化的な価値を高めてきました。
2025年度企画展第一弾では、江戸時代の版元を取り上げ、出版活動の担い手に着目しました。第二弾となる本展示では、印刷方法の歴史と書物の装訂法・書型に焦点を当て、知がどのような姿で人々に届けられてきたのかを、原本を通じて紹介します。
印刷方法については、整版本や活字本に加え、銅版本・石印本・ちりめん本など、主に日本の書物を中心に、中国や西洋の資料を交えて年代順に展示しています。装訂法・書型では、粘葉装や列帖装といったなじみの薄い装訂法の書物や、江戸時代に一般的だった袋綴本の多様な書型を比較しやすいように配置しています。
専門的な学びへの入口として、また知的好奇心を刺激する場として、本展示が書物との新たな出会いとなれば幸いです。
展示担当一同
展示概要
【展示期間】
2026年3月17日(火)~4月25日(土)
【展示場所】
8号館 B1 古書資料館 (10:30~16:30)
11号館 1F 展示コーナー(10:00~18:30)
13号館 B2 特別展示室 (10:30~16:30)
資料一覧
8号館B1 古書資料館
大唐西域記
(唐)玄奘訳 (唐)弁機撰
〔京都〕 中野五郎左衛門 承応2年(1653)印
12巻 6冊 27.0×19.0cm
インドへの遊学から戻った玄奘(三蔵法師)が、中国・唐の太宗の求めに応じ、自身の見聞した中央アジアやインド諸国など138か国の情報をまとめた書。弟子の弁機が編纂に当たり、貞観20年(646)に完成した。本書は、訓点が施された和刻本で、江戸時代の書物としては標準的な袋綴の装訂である。寛永20年(1643)版の後印本と推定される。
薄紫兎道曙(薄紫宇治曙)
柳下亭種員・笠亭仙果作 香蝶後豊国・国貞画
江戸 山本平吉 嘉永3年(1850) - 安政3年(1856)刊
8編 合4冊 17.7×11.9cm
『源氏物語』の「宇治十帖」を翻案し、『偐紫田舎源氏』の後継作として刊行された合巻だが、未刊に終わった。「宇治十帖」の主人公、光源氏の子とされる薫大将は、女三宮と柏木の間の不義の子であった。本作で薫に擬せられる足利薫之助光将は、足利に滅ぼされた赤松一族の柏木さもんの遺児という設定である。
芭蕉袖草紙
花屋庵奇淵校
〔文化8年(1881)〕刊
2巻付録1巻(付録欠) 存2冊 11.5×17.6cm
芭蕉(1644-1694)一代の連句・発句を年代順に配列した書。諸家の発句を四季ごとに分類した発句部1冊を付すが、本館所蔵本は発句部を欠く。文化8年の「凡例」には書の刊行経緯が記されている。それによると、もとは杉風(芭蕉の門人)の蔵書であったものを江戸の人が秘蔵していることを知った書肆が、俳人の花屋庵奇淵に校合を依頼して刊行したという。
瀛奎律髓
(元)方回撰 (日本)朝川鼎校訂
京都 植村藤右衛門〔他〕 文化5年(1808)刊
3巻 3冊 9.5×18.9cm
中国・元の方回が、唐・宋代の漢詩(律詩)を撰び、49類に分類した書。律詩は8句からなり、第3・4句と第5・6句が対句となる漢詩。1句が5字からなる五言律詩が1597首、7字からなる七言律詩が1307首と記載されている。文化2年(1805)の序文によると、京都の書肆の植村氏が、時世を見て朝川善庵(鼎)に校訂を依頼し、新たに版木を彫ったとある。
御行幸之記(絵入改正寛永行幸記)
大坂 浅野弥兵衛 正徳2年(1712)刊
京都 菱屋孫兵衞 文政元年(1818)印
3巻 3冊 22.1×15.3cm
寛永3年(1626)9月、後水尾天皇が二条城に趣いた際の行列の様子などを描いた書。書名の「行幸」は天皇の外出の意。この時の行幸は絵巻として描かれ、古活字版となり、元禄6年(1693)には整版本としても刊行された。本書は、正徳2年に浅野弥兵衛が再刊したものの後印本で、文政元年の菱谷孫兵衛の奥付がある。
雲上明覽大全
京都 竹原好兵衛 嘉永3年(1850)修
2巻 2冊 15.8×11.2cm
江戸時代の公家の名鑑。書名の「雲上」は宮中などを意味する語。天保8年(1837)に刊行されたが、題簽に「年々改正」とあるように、年ごとに改定され、慶応4年(1868)まで続いた。本書は、京都の竹原好兵衛が刊行した嘉永3年の改正版。編纂には西本願寺光徳府が関わったとされる。形態に便利な大きさの書。
増補聚分韻略
〔虎関師錬著〕 無一道人〔増補〕
伏見 亀本屋半兵衛 弘化3年(1846)刊
1冊 11.1×15.6cm
日本の禅僧、虎関師錬(1278-1346)の著作である『聚分韻略』(『三重韻』)を、無一道人が改編増補した韻書。無一道人の弘化2年(1845)の序文がある。韻書とは、韻(漢字1字が表す1音節のうち、最初の子音を除いた部分)によって漢字を分類した辞書で、漢詩の作成などに用いられた。形態に便利な大きさの書。
新撰和漢書画一覧
〔葛城輝教編〕
江戸 須原茂兵衛 〔他〕 天保6年(1835)修
1冊 7.0×16.4cm
書家や画家などの人名録。書家・画家に加え、歌人・連歌師・儒家・医師・茶人・俳諧師などの部もあり、出自や流派なども載せる。大坂の書肆、葛城輝教が「新撰」の名を冠して天明6年(1786)に刊行したが、その後、何度も改正されて刊行された。刊記によると、本書は原刻から6刻目に当たる天保6年版。形態に便利な大きさの書。
〔源氏物語〕
〔紫式部著〕
〔江戸前期〕写
54帖 15.3×14.7cm
紫式部による平安中期の長編物語。主人公である光源氏の恋や栄華、苦悩のほか、その一族の人生についても描かれる。装訂は列帖装で、「本云/享禄四年正月廿二日終書/寫之功者也/槐陰逍遥叟」という本奥書を有する写本。「槐陰逍遥叟」は室町後期の公卿、三条西実隆(1455-1537)を指す。享禄4年(1531)に実隆が写した本の系統に連なる写本。
食物本草 付日用本草
(元)李杲撰 (明) 錢允治校訂 付: (元)呉瑞編輯 (明)錢允治校註
京都 山屋治右衛門 慶安4年(1651)刊
7巻付3巻 3冊 26.8×15.9cm
中国・元代の医家、李杲(1180-1251)が著した『食物本草』7巻に、同じく元代の呉瑞の著作『日用本草』3巻を付して刊行したもの。どちらも食物などの薬効を記載した本草書。本書は、明の万暦48年(1620)版をもとに、訓点を施した慶安4年の和刻本である。一般的な大本よりも横幅が短いため、縦に長く見える。
御手鑑
称硯子〔編〕
五倫書屋 〔他〕 慶安4年(1651)刊 後印本
1冊 38.6×28.5cm
古筆切れや短冊を集め、その筆跡を忠実に模刻した特大本。「手鑑」は筆跡の規範の意。刊行年から「慶安手鑑」とも呼ばれる。奥付の記載によると、切れ136枚、短冊616枚の計752筆を収録するとされる。何度も刷られたようで、奥付に違い見られる同版本が複数あることが知られている。本書は、奥付に西田加兵衛らの名がある後印本。大本に比べ、かなり大きい。
伊勢物語
元禄3年(1690)刊 後印本
2巻 2冊 10.6×7.4cm
平安時代の歌物語(和歌を中心とした小編を連ねた物語集)。在原業平がモデルとされる「昔男」を主人公とする。『伊勢物語』の版本は多いが、特小本は2版種が知られている。本書はその内の一つで、元禄3年に刊行された絵入り本の後印本。もとの刊記には浅見吉兵衛と新井弥兵衛の名があるが、本書では削られている。
〔山上丶泉短冊〕
山上丶泉〔作〕
〔昭和期〕写(自筆)
短冊 10枚 36.2×6.1cm
本学文学部の教授を務めた山上丶泉(1880-1951)の短冊。「丶泉」は「ちゅせん」と読む。丶泉は、日蓮宗の僧侶であり、歌人でもあった。昭和4年(1929)には短歌結社「かぐのみ社」を創立し、精力的に活動した。国文学者・歌人として知られた折口信夫は、丶泉の死に際し追悼詠を送っている。短冊の中には、『かぐのみ第三記念歌集』(1943年刊)の出版日を祝う歌会で詠まれたものなどがある。
日蓮大菩薩御涅槃拜圖
〔江戸〕 〔大坊本行寺〕 〔天保12年(1841)〕刊
軸装 1幅 本紙 63.9×57.5cm
弘安5年(1282)に、池上宗仲邸で没する日蓮を描いた刷物を軸装にしたもの。日蓮の周囲に弟子たちを配する構図は、釈迦の涅槃図を模す。左下隅に、池上宗仲より27代目の子孫である宗顕が天保12年に製作した旨の記載がある。版面最下方には「池上大坊什寶」とあるので、池上大坊本行寺(宗仲邸宅跡)が版木を作成したか。同寺には、下部に縁起を配した別版の所蔵がある。
琉球人行列道順附
〔天保13年(1842)〕刊
一枚物 1枚 23.1×30.0㎝
琉球国からの使節が江戸に来るごとに刷れた一枚物。上段左端の「参府年暦」により、徳川家慶(1793-1853)の将軍就任を祝う慶賀使節が江戸へ到着した天保13年に刊行されたことが分かる。上段には「参府年暦」のほか、使節が江戸城へ登城するまでの道順や日程など、下段には行列図が描かれている。版元は不明。(『古今善本録』参照)
證果增進之圖
〔江戸中期〕刊
畳物 1舗 77.6×73.7㎝
仏教的な思想・世界観をもとにした畳物の双六。「仏法双六」とも呼ばれる。出た目に対応するマスに飛び移っていく飛び双六。スタート地点は、上から11 ・12段目の中央にある「南贍部州」(人間の住む世界)、アガリは最上段中央の「法身」(仏の三つの身体の一つ)のマスとなる。最下部2段の「十六地獄」の左隅にある「無間」に止まると失格となる。(『古今善本録』参照)
11号館1F 展示コーナー
〔日蓮一代記〕
一貫斎其楽〔画〕
天保13年(1842)自筆
巻子本 1軸 27.0×1048.0cm
日蓮の生涯の主要な場面を描いた絵巻物。詞書はなく、「延応元己亥十月十八日 十八歳ニシテ御得度」のような説明文によって各場面が区切られている。奥書には「天保十三寅ノ初冬上旬 一貫斎其楽(印「其楽」)」とあり、一貫斎其楽の作と分かる。其楽の経歴は不明だが、箱書きに「祖師一代記雲州其楽書」とあるため、出雲国の出身か。
琉球人川入伏見登行列書
〔江戸末期〕写
継紙 1巻 17.7×431.5cm
江戸へ向かう琉球使節が、大坂から伏見まで淀川を移動した際の行列書。琉球使節の主要人員は、玉川王子(正使)、野村親方(副使)、我謝親雲上(賛儀官)、伊舎堂親雲上(楽正)らである。これは、嘉永3年(1850)に琉球国王となった尚泰王の「謝恩使」の人員と一致する。謝恩使は、新たな琉球国王の即位を幕府に報告し、感謝を述べるために派遣される使節のこと。
高祖累歳録
深見要言輯
寛政6年(1794)序
折本 上下2帖 19.7×10.3cm
深見要言の著作。要言は、文化・文政(1804-1830)頃の奥州出身の人物で、日蓮宗関係の書物を校訂・出版するなど、在家信者の立場から出版活動に従事したことで知られる。本書は挿絵を交え、日蓮の一生を年次にそって略述した折本で、日蓮の五百十三回忌を記念して書かれたとされる。明治期の後印本で削除された挿絵を有する点からも貴重な資料。
更雨集
清白詩会受業生〔作〕
〔東京〕 清白詩会受業生 昭和15年(1940)写(自筆)
折帖 1帖 21.2×14.2cm
本学11代目学長であった清水龍山(1870-1943)の古稀の祝として、昭和15年に清白詩会の会員14名が自作の漢詩を揮毫して贈ったもの。「更雨集」の命名は『法華経』「化城喩品」の「香風吹萎華 更雨新好者」に由来する。清白詩会は本学教授であった林古渓を中心とし、漢詩の同好者を集めて結成された漢詩会で、同学の学生や立正中学の教員も参加していた。
大毗盧遮那經供養次第法疏
(唐)釈不可思議撰
〔江戸期〕刊
粘葉装 2巻 2帖 27.5×16.6cm
『大日経』第7巻の注釈書。新羅国零妙寺の僧であった不可思議が、インド僧の善無畏による口説を筆録したもの。『大日経』の他の6巻を、善無畏の弟子の一行が筆録した『大毗盧遮那成仏経疏』20巻と合わせ、『大日経疏』22巻とする場合もある。本書は、雲母散紙を用いた粘葉装。刊記はないが、江戸期に刊行された高野版の後印本か。
千載和哥集
〔藤原俊成撰〕
〔江戸前中期〕写
列帖装 20巻 2帖 23.1×17.1cm
第7番目の勅撰和歌集。後白河院の命により藤原俊成が撰者を務めた。下命は寿永2年(1183)、実質的な奏覧(下名者の天皇・上皇に見せること。完成と見なす)は文治4年(1188)とされる。本書は列帖装の豪華な本で、表紙には金泥で下絵を施し、見返しには布目金紙が用いられている。蔵書印などはないが、著名な和歌文学研究者であった有吉保(1927-2019)の旧蔵書とされる。
伊勢物語
〔江戸期〕写
折紙列帖装 1帖 25.3×18.5cm
平安時代の歌物語(和歌を中心とした小編を連ねた物語集)。在原業平がモデルとされる「昔男」を主人公とする。根源本と武田本に見られる「戸部尚書」(藤原定家を指す)の奥書(一部脱文あり)と、定家の孫である冷泉為相(1263-1328)の奥書を有する写本。書写奥書は見られない。立正大学図書館で司書部長を務めた桜井良策(1926-1972勤務)の寄贈書。
大唐西域記
(唐)玄奘訳 (唐)弁機撰
〔京都〕 中野五郎左衛門 承応2年(1653)印
12巻 6冊 27.0×19.0cm
インドへの遊学から戻った玄奘(三蔵法師)が、唐の太宗の求めに応じ、自身の見聞した中央アジアやインド諸国など138か国の情報をまとめた書。弟子の弁機が編纂に当たり、貞観20年(646)に完成した。本書は、訓点が施された和刻本で、江戸時代の書物としては標準的な袋綴の装訂である。寛永20年(1643)版の後印本と推定される。
見聞随筆
浦上純哲〔筆〕
〔明治18 (1885)頃〕写(自筆)
折紙綴 1冊 16.6×11.6cm
10枚ほどの折紙を紙縒で綴じた簡易なメモ帳。持ち主の浦上純哲(1855-1890)は、日蓮宗妙満寺派の僧(日号、日荘)だと考えられる。メモ中には、「十八年九月廿九日夜集解一席ヒメジ妙立寺ニテ」のように、日時や場所を記した例もある。この部分は、明治18年(1885)に妙立寺で行われた『法華経』関連の講義に参加した際のメモだと推定される。
祖書四編
日蓮撰
〔中世末期〕写
単葉装 1冊 24.2×17.4cm
日蓮の残したとされる文章(日蓮遺文)のうち、「佐渡御勘気御文」「阿仏房御消息」「乙御前御書」「三世諸仏惣勘文教相配(廃)立」の4篇を書写した書。「要心院一念日唱/身延山日蓮」の墨書が見られる(36丁裏)。装訂は単葉装だが、表紙や綴じは近代のもの。粘葉装の糊が剥がれたため、裁断して単葉装に改装したと考えられる。
世尊寺流
〔江戸後期〕写
結び綴 1冊 28.3×22.2cm
表紙の中央に「世尊寺流」と書かれている写本。世尊寺流は、藤原行成(972-1027)を祖とする書道の流派で、行成が建立した世尊寺に由来する。書道の練習用に詩歌を写したものか。文字は大きく、和歌と漢詩を毎半丁3~5行で記載している。記載の詩歌は、和歌2首を除き『和漢朗詠集』に収録されたもの。日蓮宗大学教授の藤田文哲による寄贈書。
大唐西域記
(唐)玄奘訳 (唐)弁機撰
〔京都〕 中野五郎左衛門 承応2年(1653)印 12巻6冊 27.0×19.0cm
京都 秋田屋平左衞門 〔承応2年以降〕印 12巻6冊 27.3×19.1cm
袋綴の『大唐西域記』和刻本2点。刊記は異なるが、同じ版木によって刷られた同版本で、寛永20年(1643)版の後印と推定される。刊記は2点とも入れ木されたもので、いずれも刊年を承応2年とするが、版面の状態により、秋田屋平左衛門版の方が後の刷と考えらえる。綴じは、中野五郎左衛門版が五つ目綴じなのに対し、秋田屋版は四つ目綴じとなっている。
大唐西域記
(唐)玄奘訳 (唐)弁機撰
〔京都〕 中野五郎左衛門 承応2年(1653)印 12巻6冊 27.0×19.0cm
京都 秋田屋平左衞門 〔承応2年以降〕印 12巻6冊 27.3×19.1cm
『大唐西域記』の和刻本2点。刊記は異なるが、版木によって刷られた同版本で、寛永20年(1643)版の後印と推定される。どちらの刊記も入れ木されており、承応2年とあるが、版面の状態により、秋田屋平左衛門版の方が後の刷と推定される。綴じは、中野五郎左衛門版が五つ目綴じなのに対し、秋田屋版は四つ目綴じとなっている。
日本外史
〔頼山陽著〕
〔江戸後期〕刊
22巻(巻1欠) 存21冊 25.4×17.7cm
頼山陽(1780-1832)の著作。源平二氏から徳川氏に至る武家の歴史を漢文体で記載した書。脱稿は文政10年(1827)。幕末から明治初期にかけて特に流行し、版種も多い。本書は10行20字の近世木活字版。刊年はないが、天保10年(1844)に蓮永寺の僧であった日富が通覧した旨の書入れがある。装訂は袋綴の康熙綴だが、綴じ紐が一部外れて四ツ目綴に見える冊もある。
13号館B2 特別展示室
百万塔陀羅尼
〔天平宝字8年(764)~神護景雲4年(770)〕製作
1点
称徳天皇(718-770)が恵美押勝の乱平定後、鎮護国家と滅罪のために、天平宝字8年に製作させた100万基の小塔(木製)のうちの一基。当時、十大寺に分置されたが、ほとんどが火災などで失われた。塔には、「無垢浄光大陀羅尼経」に説かれる6種類の陀羅尼のうち、4種類の陀羅尼のいずれかを印刷したものが納められている。本塔の場合は「根本陀羅尼」である。
妙法蓮華經玄義 巻第五
〔(隋) 智顗撰〕
〔近江〕 〔延暦寺〕 弘安6年(1283) 刊 叡山版
粘葉装 巻第5 存1帖 25.5×15.8cm
叡山版『法華三大部』(法華玄義・法華文句・摩訶止観)のうちの1帖。比叡山の僧承詮の発願により、その注釈書類と共に弘安2年(1279)から永仁4年(1296)にかけて刊行されたものの一つ。本学所蔵本は『法華玄義』巻5のみの端本で、巻末には「弘安六年六月 日書訖…」の記載がある。装訂は粘葉装。原表紙より剥離した覆表紙の墨書から、国会図書館所蔵本(巻2)と旧蔵者が同一だと分かる。
大般若波羅蜜多經 巻第九
(唐)玄奘訳
〔奈良〕 〔応永25年(1418)以前〕刊 春日版
折本 巻第9 存1帖 26.5×9.8cm
当館が所蔵する応永年間奉納の春日版『大般若波羅蜜多経』3帖の内の1帖。巻末には「幹縁藤原権助/応永念五祀(戊/戌)極月十三日/法持院」の墨書があり、応永25年12月に法持院に施入されたものと思われる。藤原権助、法持院については未詳。尾題前には「月明/荘」の朱方印があり、かつて弘文荘(反町茂雄)にあった1帖である。(『古今善本録』参照)
大慧普覚禅師年譜
(宋)祖詠撰 (宋)宗演校
〔室町初期〕刊 五山版
1冊 25.2×18.5㎝
中国・宋の臨済僧、大慧宗杲(1089-1163)の年譜。宋代の宝祐元年(1253)に中国の径山(浙江省北部)明月堂において重刊されたものを底本とし、室町初期に日本で覆刻された五山版。「宝祐癸丑…」の原刊記が見られる。同書の五山版は他に知られておらず貴重。日蓮宗の貞松山蓮永寺の旧蔵書で、徳川家康の側室であった養珠院(1577-1653)の印記が見られる。(『古今善本録』参照)
〔日蓮上人法語暦版木〕
〔明治期〕製作
版木 31枚 約36.5×12.5×2.0cm
上部に、「一日」から「卅一日」(31日)の日付があり、日蓮の遺文などからとった文句とその出典が彫られた版木(展示資料は17日のもの、出典は「盂蘭盆鈔」)。その他、上部の日付と同日に起こった出来事について記した版木もある。現代でも見られるような著名人の名言を記載した日めくりカレンダーのように使われたか。31日分あるところから、太陽暦が一般化した明治期の製作と推定される。
法華玄義序
〔(隋)智顗説〕 灌頂述
〔京都〕 大光山本国寺一輪房日保 文禄4年(1595)刊 古活字版
折本 1帖 27.0×8.7㎝
『法華玄義』10巻は、中国・隋の智顗(538-597)が開皇13年(593)に荊州の玉泉寺でおこなった法華経の講説を弟子の灌頂(561-632)が記録した仏教書。本書はその序文のみを刊行したもので、文禄4年12月、日蓮宗の僧日保により、大光山本国寺で百部刊行されたものである。現存する極初期の古活字版として大変貴重である。 (『古今善本録』参照)
初音(源氏物語)
〔紫式部著〕
〔江戸初期〕刊 嵯峨本(古活字版)
存1巻 1冊 28.6×21.2cm
嵯峨本と推定される『源氏物語』54帖のうちの「初音」巻。雲母引き表紙の中央に「初音」と刷られた題簽が貼られている。一見、手書きのように見えるが、仮名2・3文字分を一コマとした連続活字を用いているため、手書きと比べ文字のつながりに不自然な箇所がある。「臨野堂文庫」、「飯山宮之印」、「瀬能藏書」の印記が見られる。三つ目の印は、瀬能正路(1807-1870)のものとされる。
平治物語
寛永3年(1626)刊 丹録本
3巻 3冊 28.0×19.1㎝
平治の乱(1159年)を題材とした軍記物。13世紀前半の成立か。藤原信頼が源義朝と結んで挙兵し、平清盛に敗北するまでを中心に描く。本書は、「于時寛永三丙寅年…」の刊記を有する寛永3年版で、保元の乱を描いた『保元物語』とセットで刊行さた。寛永3年版は『保元』『平治』初の絵入り本。本書の挿絵には丹(朱)・緑青・黄の彩色が施されており、丹緑本であることが分かる。
日光山之繪圖
〔近藤助五郎清春画〕
江戸 小川 〔屋〕 〔享保 (1716-1736) 頃〕刊 赤本
1冊 18.4×13.2cm
江戸の日本橋から日光山までの道中を描いた赤本。日光街道や日光御成道、中山道などの宿場名のほか、道中に所領のある大名の城などが見られる。道中にはさまざま人々が描かれ、各人物の脇にはセリフが記されている。作者は、他にも複数の赤本を手掛けた享保期の画工、近藤清春である。版元は題簽下方の記載から、江戸通油町の小川屋だと考えられる。
風流 仁徳天皇名歌竈
富川房信作
〔江戸〕 〔鶴屋〕 〔明和5年(1768)〕刊 黒本
2巻 2冊 17.3×13.0㎝
黄表紙に先立って刊行されていた黒本。原題簽が残っていることは貴重である。内容は、仏法が行われて天竺・震旦に居られなくなった「らいめい(雷鳴)」たちが、日本を「まかい(魔界)」にして乗っ取ろうと画策し悪事を働くが、「きうすのすくね」たち忠臣の活躍で「らいめい」を滅ぼすことができた、というもの。(『古今善本録』参照)
頼光太平礎
〔江戸〕 〔西村屋〕 〔寛政3年(1791)〕刊 黄表紙
5巻 5冊 17.5×12.2㎝
青本・黒本の後を受け、安永4年(1775)から文化3年(1806)頃に刊行された黄表紙。黄色の表紙と絵題簽を特徴とし、1冊は5丁、それを数冊で一作品とした。内容は、源頼光に関する伝説を作品化したもので、羅生門の鬼退治と大江山の酒呑童子退治の二つの説話を中心にまとめられている。(『古今善本録』参照)
偐紫田舎源氏
柳亭種彦作 歌川国貞画
江戸 鶴屋喜右衛門 文政12年(1829)- 天保13年(1842)刊 合巻
38編 76冊 17.8×12.2㎝
『源氏物語』を翻案して室町時代の足利家に舞台を移し、その御家騒動と重宝の詮議を筋に話を展開させた合巻の代表作。画工国貞(1786-1864)による艶麗な挿絵を配したこともあって、当時の読者の人気を大いに博した。当館所蔵本は、10編が粗体裁(表紙の彫刻が間に合わず、簡素な表紙を付けて販売したもの)で、初版本を多く含むと推測される。(『古今善本録』参照)
身延詣道中滑稽花の鹿毛三篇
河間亭水盛著
〔江戸〕 〔双鶴堂(鶴屋金助)他〕 文化8年(1811)刊
3編上巻 存1冊 22.2×15.2㎝
十返舎一九(1765-1831)の滑稽本、『道中膝栗毛』の影響下に成った膝栗毛物の一つ。男2人が四谷新宿から甲州道中を旅し、身延山への参詣を目指す話。文化6-8年(1809-1811)に初・2・3編(計8冊)が刊行されたが未完に終わった。本書は3編上巻のみの端本だが、初版本と推定される。本学文学部教授であった山上丶泉(1880-1951)の旧蔵書。(『古今善本録』参照)
釈教正謬初破
杞憂道人(鵜飼徹定)著
明治元年(1867)序 近世木活字本
2巻 2冊(2種) 25.9×17.8cm
北京や上海で布教していたイギリスの宣教師、エドキンズ・ジョセフ(1823-1905)の著作『釈教正謬』に対する反論書。著者は浄土宗僧侶の鵜飼徹定。近世木活字本で、自序にも活字版で印刷したとある。展示資料2種には、『観無量寿経』引用箇所に「母父」と「父母」の違いがある(巻上29丁表・1行目)。活字の並べ間違いに気づき、「母父」を「父母」へ訂正した結果の差異と考えられる。
集古続帖
北条鉉(永根伍石)審定
江戸 関九鶴 寛政7年(1795)刊 正面刷
折本 3巻(巻第3欠) 存2帖 28.4×14.0cm
『集古帖』5巻に続き、永根伍石(1765-1838)が刊行した法帖。本館所蔵本は巻第3を欠く。『集古帖』は日本の名家の古筆を収集し、正面刷によってその筆跡を再現したもの。跋文によると、『続帖』巻1収録の空海・小野道風・藤原行成の書は、大坂の木村蒹葭堂が所蔵していた「摹本」(模本)によるとされる。版木の彫刻は、当時、名手とされた関九鶴が手掛けている。
太平記葛井寺合戦
芳虎(歌川芳虎)画
〔江戸〕 〔和泉屋市兵衛〕 〔安政3年(1856)〕刊 錦絵
3枚 37.6×25.3cm
『太閤記』の合戦を『太平記』に置き換えた3枚続の錦絵。「葛井寺合戦」は、葛井寺(ふじいでら、現・大阪藤井寺市)にて楠木正行が活躍した戦いとして知られ、『太平記』などに載る。置き換えは、江戸幕府の検閲による出版規制を免れるための措置。中央の陣幕には豊臣秀吉の桐紋が描かれ、左端には加藤清正の代名詞である「南無妙法蓮華経」の旗(題目旗)が描かれている。
〔江戸名所絵〕
〔江戸後期〕刊 合羽刷
折本 1帖 18.2×5.9㎝
「隅田川」「御殿山」「日本橋」「吉原」「日本堤」「両国」「州崎」「上野」「金龍山浅草寺」「王子稲荷」「しのばずノ池」の10箇所の江戸の名所を描いたもの。板表紙には胡粉で菊の模様が立体的に描かれている。浮世絵版画の風景画と比べて横長の画面構成が広々と感じられ、どの図にもそこで生活する人々が描かれており、その活気ある姿が印象深い。(『古今善本録』参照)
鼇頭韻學圓機活法
山崎昇(伯繹)編輯
大阪 尚書堂(辻本信太郎) 明治15年(1882)刊 銅版
8巻 2冊 14.1×9.4cm
中国・明の王世貞の編とされる『円機活法』を、山崎伯繹が校訂・編輯した銅版本。『円機活法』は漢詩の作成に用いる語彙を集めた書で、詩学と韻学の二篇に分かれる。本書は「詩学」を中心とし、上欄の鼇頭部分に「韻学」を配置する。銅版を手掛けた「響泉堂」は、南画家としても知られる森琴石(1843-1921)を指す。琴石は、明治期に多くの銅版彫刻を手掛けた。
老鼠告状〔ちりめん本〕
原題: The rat’s plaint 訳: Archibald Little
東京 長谷川武次郎 明治24年(1891)刊 ちりめん本
1冊 14.4×19.0㎝
中国の伝説をアーチボルド・リトル(1838-1908)が英訳したちりめん本。告状を持った鼠が冥界の王を訪ね、黒猫に襲われたと訴えるが、黒猫が弁明し、罰せられずに済むという話。上海のケリー・アンド・ウォルシュ社を通して、長谷川武次郎(1853-1936)の弘文社宛てに原稿が持ち込まれたと考えられる。当館では、表紙絵の異なる初版と第2版を所蔵している。(『古今善本録』参照)
The boy who drew cats〔ちりめん本〕
原題: The boy who drew cats 訳: Lafcadio Hearn
東京 長谷川武次郎 明治31年(1898)刊 ちりめん本
1冊 19.7 14.0cm
長谷川武次郎刊行のちりめん本。ラフカディオ・ハーン(1850-1904)が英訳した昔話の一つ。ハーン(小泉八雲)は1895年に日本に帰化したイギリス出身の作家。原話は「絵猫と鼠」の題で知られる。妖怪が出るとうわさの寺に泊まった小坊主が、白い襖に猫の絵を描いて眠った。朝起きると、大きな鼠が死んでおり、襖の猫の口が血で濡れていたという話。
ちんちん小袴
原題:Chin chin Kobakama 訳: Lafcadio Hearn
東京 長谷川武次郎 明治36年(1903)刊 ちりめん本
1冊 19.2×13.7cm
長谷川武次郎刊行のちりめん本。ラフカディオ・ハーン(1850-1904)が英訳した昔話の一つ。怠け者の若妻が爪楊枝を捨てずに畳のへりにを差し込んでいたところ、爪楊枝が何百もの小人となって真夜中に現れ、「ちんちん小袴、夜も更け候…」などと歌い踊ったという話。同じく、梅の種を畳に隠した女の子の話も載る。「ちいちい袴(小袴)」の名でも知られ、若妻が老婆の場合もある。
瘤取り〔上方ちりめん本〕
原題:The story of a wen taker
大阪 松室八千三 明治33年(1900)刊 ちりめん本
1冊 14.2×9.7㎝
上方(大阪)の松室八千三が手掛けたちりめん本『昔噺』10冊の内の1冊。外国人に英文を任せた長谷川武次郎と異なり、松室版の英文は日本人が作成したため、スペルの誤りが散見される。刊行は単発で終わったが、洋装本の日本人向け英語テキストとして受け継がれた。(『古今善本録』参照)
大般若波羅蜜多經〔東禅寺蔵〕
(唐)玄奘訳
〔11世紀後半〕刊 / 明州 王伯序 紹興32年(1162)印 唐本(宋版)
折本 巻第81 存1帖 30.0×11.5㎝
本帖は、11世紀後半以降、福州城外の東禅等覚院 で開板された福州版大蔵経(東禅寺蔵)の冒頭に置かれる『大般若波羅蜜多経』(600巻)の1帖。巻末には別印の「施入記」が添付され、世に「明州王公祠堂本」と呼ばれる。わが国に現存する東禅寺蔵としては最も早期の印造であり、刻工名、印造印(「張華造」)からみても資料的価値は極めて高い。(『古今善本録』参照)
聯燈会要
(宋)悟明集
至元28年(1291)重刊 唐本(元版) *巻第7-9は補写
巻第1-9、25-30 存5冊 25.0×16.1㎝
中国・南宋の淳煕10年(1183)に成った晦翁悟明による著作。先行する『景徳伝燈録 』『天聖広燈録 』をもとにし、600人あまりの機縁(公案)などを30巻にまとめた禅宗の書。刊記には「至元辛卯歳重刋〔于〕育王松庵/三山鄭 子埜 栞」とあり、至元28年に三山(福州)の鄭子埜という人物が阿育王寺の松庵にて刊行した元版であることが分かる。(『古今善本録』参照)
妙法蓮華経要解
(宋)戒環解
朝鮮 公山本寺 嘉靖10年(1531)重刊 朝鮮版
7巻 7冊 37.5×25.5㎝
北宋末~南宋初期の泉州(現、福建省泉州市)の開元寺に住した戒環が編纂した注釈書の一つ。刊記や墨書などから、嘉靖10年6月に朝鮮国慶尚道永川郡(韓国・慶尚北道永川市)の公山本寺で「重刊」された本書を、東莱府(同・釜山広域市東萊区)義南里の張氏らが某所に施入したものと分かる。「新居文庫」のために、池田是埈が本学に寄贈した。(『古今善本録』参照)
新刻京本按鑑演義合像三国志伝
〔(明)羅貫中著〕
〔福建・建陽〕 羅端源勤有堂 万暦38年(1610)刊 唐本(明版)
20巻 8冊 24.0×14.6㎝
中国の後漢末から三国時代の歴史を題材にした長編歴史小説『三国志演義』の版本。文章が簡略化された簡本系に属し、本文の上に挿図(見開き2葉の図像を合わせて1枚の絵とする)を配す。本書と同版の本が天理図書館にも所蔵されているが、そちらは序文と巻1第1葉が欠落しており、当館所蔵本により出版書肆名と刊行年が明らかになった。(『古今善本録』参照)
大清嘉慶十九年時憲書
〔北京〕 欽天監 〔嘉慶18年(1813)〕刊 唐本(清版)
1冊 29.0×18.2cm
清朝が採用した暦法、時憲書に基づく嘉慶19年(1814)の暦。天文などをつかさどる欽天監にて、記載年号の前年に製作・刊行された。時憲書には西洋天文学の知識が含まれており、本書に見られる欽天監の長官(監正)の「福文高」、副官(監副)の「李拱辰」はキリスト教の宣教師の中国名である。長崎の尼「妙寿」が静岡の日蓮宗寺院、蓮永寺に寄付したもの。
点石斎画報
上海 申報館 光緒10年(1884)刊
甲集第1-12号 合1冊 25.0×14.2㎝
写真製版石印機で清朝末期に印刷された絵入り新聞。イギリス人のアーネスト・メイジャー(1841-1908)によって創設された上海の申報館にて、光緒10年から十数年間にわたって刊行された。本書は甲集1-12号を合冊したもの。呉友如らが担当した絵は緻密で、当時の世相をよく伝える。本学の教員だった木内柔克 (1863-1930)の旧蔵書。(『古今善本録』参照)
満洲老檔秘録
金梁〔編〕
民国18年(1929)序
2巻 2冊 26.6×15.1cm
満州文字で記された清朝初期の記録である『満文(州)老档』180巻を抄訳した書。満州人の金梁(1878-1962)が学者十数人を集めて同書を漢文に翻訳させ、上下2巻に抄出したものを「満洲老檔秘録」と名付けて民国7年(1918)に刊行した。本書は、民国18年の序が見られる排印本。書名の「檔」は官庁などの記録を指すので、「満文老檔」は満州文字の古い記録の意。
グーテンべルク42行聖書 〔零葉〕
原題:〔A leaf from the Gutenberg 42 line Bible〕
Mainz 1450-1455
存1葉 38.5×28.0㎝
ドイツのヨハン・グーテンベルク(1400頃-1468)が活版印刷技術を用いて印刷した西洋初の印刷聖書の1葉。文頭の飾り文字は印刷後に朱や藍で1葉ごとに手書きされている。当館資料は、ガブリエル・ウェルズが、原本の端本を1葉ずつ分割し、書誌学者エドワード・ニュートン(1864-1940)の解説をつけて1921年に販売したものの一つ。(『古今善本録』参照)




