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第20回 貴重書展 ー新収 善本、稀覯書を中心にー デジタル展示

概要

 立正大学図書館では通常利用可能な図書や雑誌のほかに、貴重書や善本、稀覯書と呼ばれる、希少性の高い資料も所蔵しています。
今回の展示では、2019年度から2021年度に新収した善本、稀覯書をご紹介します。
初公開となる資料ばかりですので、この機会にぜひご覧ください。

日時:2023年1月17日(火)~31日(火)、3月24日(金)~4月14日(金)
場所:11号館1階 展示コーナー(10:00~18:30)
   月~土 開室  ※長期休暇期間中は土・日・祝閉室

資料一覧

日蓮聖人涅槃図

森山信谷写 文久3年(1867)
202.0×73.3cm

日蓮が入滅する場面を描いた絹本の掛け軸。釈迦の涅槃図にならい、横たわる日蓮の周囲に、弟子や在家信者たちを多数配す。各人物の着物には、その名前を記載している。日蓮の涅槃図は、天文5年(1536)に描かれた絵巻『日蓮聖人註画讃』(本圀寺蔵)にも見られ、江戸時代の諸版本の挿絵や一枚物としても流布した。本資料もそれらの構図を踏襲している。本紙上部や、周囲に見られる井桁に橘紋は、日蓮宗の紋として18世紀半ば以降に定着したものである。

出嶋阿蘭陀屋舗景

長崎勝山町 豊島屋文治右衛門
〔安永9年(1780)〕刊
41.5×55.3cm

長崎の出島の様子を描いた1枚刷りの彩色鳥瞰図。本資料の右上には「出嶋阿蘭陀屋舗景」、左下には「長崎勝山町 豊嶋屋文治右衞門板」と版元名が記されている。版元名の右側に「出嶋築立ヨリ安永庚子年迠百四十五年[ニ]成ル」とあるため、本資料の刊行は安永9年(1780)と推定される。建物も、その刊行年時の状況を表しており、例えば天明6年(1786)まで存在した「脇荷蔵」一対が画面上部の左寄りに見られる。本資料は、版元によって彩色が施された比較的刷りの早いものと考えられる。

妙法蓮華経(鎌倉後期巻子本)

〔(姚秦) 鳩摩羅什訳〕
〔鎌倉後期〕写
12.5×214.5cm

写経の1行の字詰は通常は17文字だが、その倍の34字にして書写した写経を細字経と呼ぶ。1部8巻や1部10巻の経典を、まとめて1巻あるいは2巻に仕立てて、携帯の便宜をはかろうとしたものとされる。細字経には、小さな紙に書写した、いわゆる「豆本」もある。本資料は、わずか縦12.5㎝の濃紺の料紙を用い、銀で界線を引き、金字で無量義経、法華経、観普賢経を書写している。数少ない小型の細字経の大変貴重な伝本である。

妙法蓮華経(懐中本)

〔(姚秦) 鳩摩羅什訳〕
矢倉安義写 享保10年 (1725)
5.5×4.0cm

『法華経』の序品第一から普賢菩薩勧発品第二十八に至る1部8巻28品を1帖に収めた折本の写経である。文字によって若干異なるものの1字約1~1.5mmという極めて細かい字で書写されている。裏表紙見返しの京都本法寺第29世体信院日領の識語と書写奥書から、本写経は本法寺の檀信徒と思われる矢倉安義(正受院法栄日光居士)が享保10年(1725)9月26日に書写したものであることがわかる。付属する帙の内側には、安永9年(1780)10月良日に本法寺僧文明院日元が記した識語が見られる。

西海蒙古退治図

歌川芳虎画
〔江戸〕 伊勢屋兼吉 文久3年 (1863)刊
37.2×75.2cm

歌川芳虎による3枚続きの大判錦絵。弘安4年(1281)、日本に襲来した蒙古の軍船が、日蓮の書した旗曼荼羅の利益にて引き起こされた暴風で沈没する様を描いている。日蓮の旗曼荼羅は、日省の『本化別頭高祖伝』(1736年刊)やその弟子日潮の『本化別頭仏祖統記』(1797年刊)などによって広まり、信仰の対象として信じられた。本資料は、幕府の改め印(「亥八改」)と版元印(「吉 伊勢兼」)から、文久3年(1863)に江戸の伊勢屋兼吉によって刊行されたことが分かる。なお同年には、江戸で行われた久遠寺の出開帳で旗曼荼羅が公開されている。

因果の小車

ポール・ケーラス著 鈴木大拙訳
東京 長谷川商店 明治31年(1898) 刊
24.4×18.0cm

本書は、ちりめん本『カルマ』を鈴木大拙(1870-1966)が『因果の小車』として邦訳したものである。挿絵は、鈴木華邨(1860-1919)によるものをそのまま使用している。冒頭に大拙による「緒言」があり、原書Karmaの概要についての記載の後、邦訳にあたり「臨済宗円覚寺派管長、宗演洪嶽大禅師」の校閲を経たことが述べられている。また、出版に際しては長谷川武次郎らの尽力を得たことが記されている。芥川龍之介(1892-1927)の『蜘蛛の糸』は、本書の中の一編、「蜘蛛の糸」(原題:The spider web)の翻案として知られている。

身延詣道中滑稽花の鹿毛三篇上巻

河間亭水盛著
〔江戸〕 双鶴堂 文化8年(1811)刊
22.2×15.2.cm

十返舎一九の『道中膝栗毛』の影響下に成った膝栗毛物の一つ。男2人が四谷新宿から甲州道中を旅し、身延山への参詣を目指すという趣向の物語である。作者は甲州田中(現山梨県山梨市)に住んだ加賀美真文だが、河間亭水盛の筆名を用いている。『道中膝栗毛』8篇と同年の文化6年(1809)に刊行が開始され、文化8年までに初編3巻・2編3巻・3編2巻の計8冊が出されたが未刊に終わった。
当館が所蔵するのは3編上巻の初版本と推定される。1冊のみではあるが、3編の初版本は珍しい。

De beschryving van Japan (日本誌)

in 't Hoogduytsch beschreven door Engelbert Kæmpfer
Amsterdam : Jan Roman de Jonge, 1733
35.4×21.4cm

本書は、ドイツの医師エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kämpfer, 1651-1716)が日本での見聞をまとめたもので、日本に関する一般的記述の他、政治・宗教・貿易・江戸参府日記と附録で構成されている。当館所蔵書は蘭語の第2版で、鎖国下の日本に輸入されたことで知られる。「鎖国」という言葉は、享和元年(1801)、本書の附録を蘭学者、志筑忠雄(1760-1806)がケンペルの原題から離れて「鎖国論」と訳出したことで生み出されたといわれている。

Gedenkwaerdige gesantschappen der Oost-Indische maetschappy in 't Vereenigde Nederland, aen de kaisaren van Japan (東インド会社遣日使節紀行)

door Arnoldus Montanus
Amsterdam : Jacob Meurs , 1669
32.4×20.7cm

本書は、オランダの牧師アルノルドゥス・モンタヌス(Arnoldus Montanus, 1625-1683)が当時のヨーロッパにもたらされた情報を網羅的に集約した、最初の本格的な日本紹介書である。内容は主にオランダ東インド会社使節の江戸参府記録に依拠している。このほか、マルコ・ポーロの『東方見聞録』・平戸商館長を務めたカロンの『日本大王国誌』等から日本事情が紹介されている。モンタヌスが来日した記録は残されておらず、挿図、記事共に想像によるものも多い。当館所蔵書は1669年にアムステルダムで刊行された初版である。

Vocabularius breviloquus(簡要語彙)

Johannes Reuchlin
Stuttgart-Bad Cannstatt : F. Frommann (GüntherHolzboog) , 1496
23.0×15.6cm

1496年に出版されたドイツ最初の「ラテン語辞典」345葉全20巻の初版。子牛の革から作られた高級なべラム紙の装丁で、2カ所に金属製の鍵が付けられている。ドイツの人文学者ヨハン・ロイヒリン(Johana Reuchlin, 1455-1522)によって編纂された。袖珍本を参考にして編纂されたと言われているが、実寸は23.4×16.3cmの大きさである。活字体の印刷であるが、各ページの最上部中央にゴシック体の大文字2文字が記載され、朱色で彩色されている。

Columbia's courtship (コロンビアの求愛)

Walter Crane
Boston : L. Prang, c1892
29.1×22.7cm

ウォルター・クレイン(Walter Crane, 1845-1915)は現代絵本の基礎を築いた画家のひとりで、19世紀後半にイギリスで活躍した。本書は、クレインがボストンのL.プラング社より依頼を受け、コロンブスの新大陸到着400年を記念して開催されたシカゴ万博(1893年)のために制作されたものである。グリーンランドの発見者「赤毛のエイリーク」からシカゴ万博に至るまでのアメリカの歴史が、空想的、象徴的に擬人化された人物を通して語られている。同デザインの12枚綴りのカレンダーも製作された。当館所蔵書は、見返しにクレインによるサインが確認できる。

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