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第50回企画展「法華経と文学」デジタル展示

概要

 立正大学品川図書館では、日蓮聖人ご入滅の忌日に営む法要である「お会式」と同時期に、毎年日蓮宗に関する展示を行なっています。
2022年度は10月8日(土)、9日(日)に本学で開催される和歌文学会大会に合わせ、法華経と文学、和歌をテーマに13号館特別展示室と11号館図書館展示コーナーの2ヵ所で展示を開催しました。

ごあいさつ

 立正大学品川図書館では、平成 21(2009)年度から継続的に貴重書展、企画展、資料と保存展など、出展資料やテーマに沿った展示を開催しています。このたび、企画展が記念すべき 50 回目を迎えるにあたり、10月に本学で開催される和歌文学会大会に合わせ、「法華経」「文学」「和歌」の 3 つのキーワードに焦点を絞り込み、近年収集した貴重書や善本、未公開の蔵書の中から選りすぐりの資料をご紹介します。

 本学品川キャンパスには、教育研究施設として、江戸時代の和古書を中心に、貴重書、特殊資料(巻子本・折本・函物等)、洋古書を所蔵する、古書の専門図書館である「古書資料館」があります。本企画展では、古書資料館が所蔵する貴重書のほか、個人所蔵の貴重な研究資料もお借りしました。法華経と、法華経に関係のある文学作品を中心に、関連する貴重書も併せてご覧いただけます。
 本企画展を通じて、法華経と文学のつながり、和歌の美しさを堪能する機会となれば幸いです。

 本企画展開催にあたり、企画から資料解説執筆および貴重な資料をご出展いただきました文学部伊藤善隆先生、渡邉裕美子先生、古書資料館専門員小此木敏明先生をはじめ、ご協力を賜りました関係各位に厚く御礼申し上げます。

令和4(2022)年 10月

立正大学図書館

館長 小浜 ふみ子


資料一覧

宗祖日蓮大菩薩涅槃拝図

藤邑日淳画
明治13年(1880)刊
本紙68.3×38.1cm
軸装

日蓮が入滅する場面を描いた多色刷木版画を軸装にしたもの。釈迦の涅槃図にならい、横たわる日蓮の周囲に多数の弟子たちを配し、それぞれの名前を注記している。日蓮の涅槃図は、天文5年(1536)に描かれた絵巻『日蓮聖人註画讃』(本圀寺所蔵)に見られ、江戸時代の諸版本の挿絵にも継承された。また、一枚物としても多く出回っている。本資料の版木は、「藤邑日淳」の写しをもとにし、明治13年(1880)に本法寺(現石川県金沢市)で作られたと考えられる。

高祖御一代略図相州竜之口御難

歌川国芳(一勇斎国芳)画
[天保7年(1836)頃]刊
25.7×37.4cm 

『高祖御一代略図』の1枚で、竜口法難を描く。この事件は、文永8年(1271)9月12日、侍所所司であった平頼綱の指揮のもと、松葉谷の草庵で捕縛された日蓮が竜口で斬首されようとした出来事をいう。日蓮の首がはねられようとした時、月のように光るものが空に現れ、刀が折れるなどの奇跡が起こったという。これにより日蓮は死を免れたとされる。

高祖御一代略図佐州流刑角田波題目

歌川国芳(一勇斎国芳)画
[天保7年(1836)頃]刊
24.8×36.5cm

日蓮の有名な逸話を描いた10枚揃の浮世絵、『高祖御一代略図』の1つ。本作は、佐渡に流される途中で嵐に遭った日蓮たちを描く。この時に日蓮は、海上に「南無妙法蓮華経」の題目を書いて波を静めたという。作者は、日蓮宗の信徒でもあった歌川国芳(1797-1861)。『高祖御一代略図』は、国芳の落款の書体から、天保5-6年(1834-1835)頃と天保7年以降の2回に分けて刊行されたという説がある。

賤ヶ峰合戦之図

歌川国芳(一勇斎国芳)画
[弘化4(1847)-嘉永3年(1850)]刊
約 35.7×25.2cm

賤ヶ岳の戦いにおける加藤清正の活躍を描いた3枚続の錦絵。賤ヶ岳の戦いは、天正11年(1583)に羽柴秀吉と柴田勝家の間で起こった合戦で、清正らの活躍によって秀吉が勝利した。作者は歌川国芳(1797-1861)で、画面中央に「藤原正清」(加藤清正)、左に「浜地将監」(山路将監)、右に清正の郎等を描く。本作は『絵本太閤記』を元に描かれているか。清正は日蓮宗を信仰していたことで知られ、「南無妙法蓮華経」と書かれた題目旗と共に描かれる場合が多い。

おえしき役者絵

河鍋暁斎(周麿)、歌川芳虎画
[文久3年(1863)]刊
約 37.5×25.9cm

上段にお会式(日蓮の忌日である10月13日に行われる法会)の様子、下段に役者絵を描いた3枚続の錦絵。お会式絵の隙間には役者の評判記が書かれている。題名の記載はないが、「お会式役者」と呼ばれる。改印などの記載から、文久3年(1863)7月に大黒屋金之助・金次郎によって印行されたことが分かる。上段のお会式絵は河鍋暁斎(1831-1889)、下段の役者絵は歌川芳虎の作。

武蔵百景之内 池上本門寺

小林清親画
明治17年(1884)11月刊
37.0×24.65cm

小林清親(1847-1915)の大判錦絵。風景画のシリーズ「武蔵百景」の一つで、長栄山本門寺(東京都大田区池上)でのお会式の万灯を描いたもの。本門寺は、日蓮が入滅した地に創建された日蓮宗の大本山。本作は、歌川広重の「名所江戸百景 金杉橋芝浦」などの影響を受けているとされる。広重の「金杉橋芝浦」はお会式へ向かう群衆を描いたもの。

妙法蓮華経

[鎌倉後期]写
縦12.5㎝
巻子装

写経の1行の字詰は通常は17文字だが、その倍の34字にして書写した写経を細字経と呼ぶ。1部8巻や1部10巻の経典を、まとめて1巻あるいは2巻に仕立てて、携帯の便宜をはかろうとしたものとされる。本点は、わずか縦12.5㎝の濃紺の料紙を用い、銀で界線を引き、金泥で無量義経、法華経、観普賢経を書写し、題簽に「妙経三部一巻 全」と墨書する。

妙法蓮華経

[鎌倉後期]刊
縦26.65㎝
巻子装

春日版は、奈良時代以来の写経の形式を踏襲し、以後のわが国の刊経の定型となったとされる。本点の各巻末には「建武元年七月日」の年記(墨書)があり、1巻と8巻の巻末には、応永8年8月上旬に補修が成った旨の識語がある。漆塗りの美麗な箱に納められており、これまで大切に伝えられてきたことが分かる。

日乾法華曼荼羅本尊

日乾筆
慶長17年(1612)
32.2×15.9cm
軸装

当曼荼羅本尊は、寂照院日乾(1560-1635)が久遠寺に再住した後の慶長17年(1612)6月28日、50歳の時に揮毫されたものである。通常料紙の四隅に勧請される四天王が省略されるなど、曼荼羅本尊の一般的な構成と比べると簡素な形式となっている。日乾が当曼荼羅本尊を授与した人物については不明だが、下部左側に擦り消された跡が見られることから、元々はここに授与書があった可能性が想定される。

日遠法華曼荼羅本尊

日遠筆
慶長9年(1604)
50.2×35.3cm
軸装

当曼荼羅本尊は、心性院日遠(1572-1642)が久遠寺に晋山した慶長9年(1604)の10月7日付で揮毫されたものである。下部右側に「授与之峯女」とあり、峯女に授与された曼荼羅本尊であることがわかる。表具裏には「心行院日遠延山廿二世池上比企十五世/外二ヶ寺開山寛永十九壬午三月五日七十一寂」と記した貼紙が見られ、また明治16年(1883)1月付の蓋裏書を有する木箱が付属する。

妙法蓮華経 訓仮名

元和3年(1617)写
31.45×23.2㎝
袋綴

漢訳経典である『法華経』を訓み下し、平仮名交じり文に書写したもの。漢文の経典を理解しやすいように、女性たちのために制作されたものともいわれる。本点の各冊には、濃紺色の地に金銀の切箔を散らし、さらに胡粉で模様を入れた表紙が使用されており、朱色料紙を用いた題簽(「妙法蓮華経巻第一(~八)訓仮名」)が良く映える。

国訳妙法蓮華経

昭和9年(1934)刊
23.4×15.3cm

日蓮宗を信仰していた宮沢賢治(1896-1933)の遺言に従い、弟の清六の名で発行された『法華経』。1000部作られ、賢治の友人知己だけでなく、希望者にも配布された。本文は書き下し文で、大正3年(1914)に島地大等が編纂した『漢和対照妙法蓮華経』をもとにしている。巻末には、臨終の日の賢治の言葉と、清六の挨拶文が載る。後遊紙には、本書の送り先である「藤島守一」の名などが記されている。

法華玄義序

灌頂述
文禄4年(1595)刊
27.0×8.65㎝
折本

『法華玄義』10巻は、隋の智顗(538-597) が開皇13年(593) に荊州の玉泉寺でおこなった法華経の講説を弟子の灌頂(561-632)が記録した仏教書。本書はその序文のみを刊行したもので、外題は打ち付けに「法華玄義序」と墨書。現存する極初期の古活字版として貴重。

身延山絵図

[宝永(1704-1711)以後]刊
本紙59.3×84.2cm
軸装

身延山(山梨県巨摩郡身延町)の周辺を描いた鳥瞰図。木版刷を軸装にし、一部に彩色を施している。身延山久遠寺は日蓮(1222-1282)が晩年の9年間を過ごした霊場で、日蓮の墓所があることで知られる。鳥瞰図には地名や堂名などの注記があるが、描かれている建物の状況から、版木が作られたのは宝永(1704-1711)以後と推定されている。後に注記の一部が改刻されたため、早印のものと後印のもので違いがある。本資料は改刻後に摺られた後印のもの。

日蓮大聖人註画讃

寛永9年(1632)刊
28.1×18.85㎝
袋綴

本点は和文の詞書を持つ『註画賛』で、挿絵入りの古版本として知られる寛永9年刊の整版本(中野市右衛門刊)である。「アカキ」「よこ山」「重」の朱文印が捺されており、国文学者で蔵書家として知られた横山重(1896-1980)の旧蔵本であることが判る。

日蓮聖人註画讃

寛永2年(1625)刊
27.85×20.0㎝
袋綴

本点は漢文の『註画賛』で、寛永2年刊の古活字本である。活字毎に異なる濃淡や匡郭(本文を囲む枠線)の四隅に切れ目が見られるなど、古活字版の特徴が顕著である。

百万塔

神護景雲4年(770)
木製

本塔は、称徳天皇(718-770)が恵美押勝の乱平定後、鎮護国家と滅罪のために、天平宝字8年(764)に製作させた100万基の小塔のうちの一基である。百万塔は当時、十大寺に分置されたが、現在は法隆寺にその一部を残すほか、ほとんどが火災などで失われた。塔は主部・相輪部とも轆轤挽きで、多くは白土が塗られた。相輪部の底に枘が作られ、「無垢浄光大陀羅尼経」に説かれる6種類の陀羅尼のうち、4種類の陀羅尼のいずれかが摺写して納められている。本塔の摺写本は「根本陀羅尼」である。これらの摺写本は、世界最古の印刷物とされている。
(立正大学史料編纂室所蔵)

華かたみ

[世阿弥元清作]
[近世前期]刊
23.9×18.0㎝
綴葉装

謡曲。四番目物。世阿弥作。越前国味真野に住んでいた大迹部皇子は、都に上り、継体天皇となった。帝は、味真野で寵愛していた照日の前に別れの文と愛用していた花筐を送る。照日の前は、帝の即位を喜びながらも、突然の別れを深く悲しむ。その後、紅葉見物の行幸の折、狂女が帝の前に現れる。持っていた花筐から照日の前であることが判り、帝は狂女を伴って帰った。

ひかき

[世阿弥元清作]
[近世前期]刊
23.9×18.0㎝
綴葉装

謡曲。三番目物。世阿弥作。肥後国岩戸に住む僧のもとへ、閼伽の水を毎日汲んでくる老女がいた。名を尋ねると、『後撰集』の「年ふれば」の歌を詠んだ檜垣の女であると言って姿を消す。僧がその庵の跡を訪ねると、檜垣の女の亡霊が現れ、昔、藤原興範に所望されて水を汲んだ様子を再現し、思い出の舞をまって回向を頼む。「関寺小町」「姨捨」とともに「三老女」と呼ばれる秘曲の一つ。

班女

[世阿弥元清作]
[近世前期]刊
23.9×17.9㎝
綴葉装

謡曲。四番目物。世阿弥作。美濃国野上の宿の遊女花子は、東国に下る途中の吉田少将と恋に落ち、扇を取り交わした。その後、花子はその扇を眺めるばかり、他の客の前に出ようとしないため、宿の女主人に追い出されてしまう。吉田少将は帰洛の途次に野上の宿を訪れるが、花子がいないことを知って失意の内に上京、下賀茂神社に参詣する。そこで、班女と呼ばれる狂女と出会うが、その女の扇によって狂女が花子であると知り、再会を果たした。

保元物語

[寛永3年(1626)]刊
27.9×19.4cm
袋綴

保元の乱(1156年)を題材とした軍記物。編著者未詳。3巻。13世紀前半の成立か。摂関家や源平の武士たちが崇徳院方と後白河天皇方に分かれて対立する様を描く。合戦場面では、特に源為朝の超人的な活躍が描かれる。本書は整版本だが、挿絵に丹(朱)・緑青・黄の色彩が施された丹緑本のため希少。無刊記だが、寛永3年(1626)に『平治物語』とともに刊行されたものと推定される。展示箇所の挿絵は、為朝が官軍の舟を矢で貫いて沈没させた場面を描いている。

平治物語

寛永3年(1626)刊
28.0×19.1cm
袋綴

平治の乱(1159年)を題材とした軍記物。編著者未詳。3巻。13世紀はじめ頃の成立か。藤原信頼が源義朝と結んで挙兵し、平清盛に敗北する様を中心に描く。『保元物語』と同じく、挿絵に彩色が施された丹緑本。寛永3年(1626)の刊記を有す。展示箇所の挿絵は、合戦で敗れて斬首された源義平(義朝の子、頼朝の兄)が雷となって復讐に来た場面で、逃げ惑う人々も描かれている。

大織冠

[近世前期]写
29.9×22.4㎝
綴葉装

本点は江戸時代の前期の制作になる奈良絵本で、題簽には「太しよくはん 上(中・下)」とある。美麗な筆跡と挿絵が魅力的である。

大織冠

[近世前期]写
17.2×約760㎝(上)
17.2×約850㎝(中)
17.2×720㎝(下)
巻子装

本点は江戸時代の前期の制作になる奈良絵巻で、題簽には「太しよくわん 上(中・下)」とある。こうした小型のものは比較的数が少なく貴重である。

元政上人短冊幅「野雪」

元政
[近世前期]写(自筆)
軸装

「野雪 見るまゝにやゝ跡おほし九重の内野にふれる今朝のしらゆき 妙子」。『草山和歌集』に見えない歌だが、萩原是正『深草元政上人墨蹟』(大神山隆盛寺、2016年10月)に、この歌を揮毫した懐紙が載る。

元政上人書状幅

元政
[近世前期]写(自筆)
13.9×47.6㎝
軸装

署名に「石ゐ へいのせう」(石井平之丞)とあり、在俗時の書簡であることが判る。宛所の「おこう」については未詳ながら、萩原是正『深草元政上人墨蹟』(大神山隆盛寺、2016年10月)には、「御こう」宛の出家後の書簡が2通掲載される。本点は「さきのこるにほひはおしきおほかたの花にまくへき梅のいろかは」の歌を載せる。

扶桑隠逸伝

不可思議(元政)撰
寛文4年 (1664)刊
26.9×16.6㎝
袋綴

日本の隠逸の伝記を集めたもの。仏道修行者に限らず、大中臣淵魚や藤原春津などの官人や宗祇や牡丹花など連歌師も収録する。本書の刊本には9行本と11行本があり、その刊行の前後や事情は明らかでない。本点は9行本である。銅駝坊書肆村上氏刊行。

身延道の記

元政著
無刊記
26.3×17.3㎝
袋綴

万治元年12月に死去した父元好の遺骨を身延山に納めるため、信仰心の篤い母を伴い、万治2年に久遠寺に参詣した折の紀行。近世前期の歌人の紀行文の代表的なものとして評価が高い。

春と修羅

宮沢賢治著
大正13年(1924)刊
20.0×13.3cm

宮沢賢治が生前に唯一刊行した詩集。大正11-12年(1922-1923)に作られた69の作品からなる。本書は初版本で、ケースには「春と修羅/心象スケッチ/宮沢賢治」とある。冒頭に自序、巻末に目次、奥付の裏には正誤表が見られる。自費を投じて1000部刊行したが、100部も売れなかったとされる。しかし、一部の人々に高く評価された。評論家の辻潤も、大正13年7月23日の『読売新聞』で取り上げている。

古今和歌集

紀貫之等奉勅撰 
[鎌倉後期]写
20.7×14.7㎝
綴葉装

醍醐天皇下命の第一勅撰集。延喜5年(905)成立。20巻。我が国最初の和歌の勅撰集として、成立後900年以上〈正典〉として尊重され続け、和歌にとどまらず、後代に大きな影響を及ぼした。本書は、貞応2年(1223)7月に藤原定家が書写した本の系統。同系統本には多くの写本が伝存するが、本書はその中でもかなり古く、能筆により丁寧に書写されている。原装と思われる表紙も優美である。

新古今和歌集

藤原定家等奉勅撰
[室町後期]写 伝岩山民部少輔澄秀筆
23.15×16.35㎝
綴葉装

後鳥羽院下命の第八勅撰集。元久2年(1205)竟宴。20巻。本書は、『新古今和歌集』の伝本のうち、最終的な成立前の改訂作業中の本文を持つ第二類本に属し、後に切り出される15首を含む。奥書や識語などは一切ないが、國學院大學図書館蔵『古今和歌集』(天文8年(1539)奥書)と同筆と思われる。表紙・題簽は原装と推測され、この時代の上質な写本の姿を伝える。

内藤元貞「たへにきく」

内藤元貞
文明十二年(1480)九月十九日披講(自筆)
25.9×41.4cm

文明12年10月7日の細川道賢十三回忌にあたり細川政国(「畠山政国」とするのは誤)が勧進した法華経二十八品和歌のうち。法華経二十八品の章句や偈頌の一部を題材として、人々が分担して詠歌することを「一品経和歌」といい、書名では「品経和歌」とすることが多い。道賢は細川勝元の弟。内藤元貞は細川家の家臣で、室町時代の武将。本懐紙には「分別功徳品」の法文歌と「懐旧」題の2首を記す。紙背には経文が刷られている。

草山和歌集

元政著
寛文12年(1672)刊
26.8×18.7㎝
袋綴

本点は、元政上人の没後4年を経て、寛文12年(1672)に刊行された家集。150首を収録する。編者や刊行の事情は不明だが、おそらくは門弟の誰かの手によって刊行されたものと推定される。「春たつこゝろを」の歌に始まって辞世の歌で終わり、部立はない。村上勘兵衛刊。福田文庫旧蔵。

今川家集

[江戸後期]写
23.0×16.7cm
袋綴

今川義元の父である氏親(1473-1526)と、その御一家や家臣らの歌を集めた歌集。歌の作者には、今川家と縁のある宗清(冷泉為広)や正親町三条実望といった公卿も含まれる。永正9年(1512)以降の成立か。部立は春・夏・秋・冬・恋・雑で、歌数は949首。
本来は1000首だったと考えられる。歌題は『明題部類抄』所収の「建長七年顕朝卿千首」と共通する。駿府四足町の鳴雁堂のものと思われる貸本屋の印があることから、江戸後期の書写と推定される。

詠草和歌聞書

[江戸中期]写
28.5×20.3cm
袋綴

序文によると、編者は「随時庵先生」に師事 した遠江(現静岡県西部 )の人物で、仲間たちと自らの歌を収録したという。成立は元禄 4年(1691)。部立は春・夏・秋・冬・恋・雑・賀で、歌数は333首。羽山蘭子編の『細江草』(内閣文庫所蔵)と共通歌が20首あり、歌の作者も『細江草』とほぼ重なる。詞書に見られる歌の指導を請うていた人物として、浅井忠能・竹内惟庸・葛岡宣慶・良玄法師の名が見られる。

枕草紙四季絵詞

清少納言
[江戸前期-中期
27.2×510.3cm

『枕草子』から四季の興趣を絵画化するのにふさわしい4場面を選び、絵巻に仕立てたもの。人物の面貌や装束の文様、室内の調度、植物の花や葉など細部まで丁寧に描き込まれ、絵師の力量の高さがうかがわれる。絵詞は場面ごとに異なる寄合書きで、筆者は公家であろう。美麗な金襴の表紙を持ち、絵や絵詞の料紙には金箔がふんだんに用いられ、豪華な装飾が施されている。

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