私は大学1年生の夏に初めて立正大学のボランティアセンターが企画するボランティアに参加し、それ以降何度か参加させてもらう機会があった。そのボランティア活動では現地に行ったからこそわかる情報や理解できること、感じるものがたくさんあり、東日本大震災という観点だけではなく、人間としても私を大きく成長させる機会だったと感じる。恐らく私は次年度の就職活動や卒業論文の作成で次回は参加できないだろう。だから、この文章を通じて一番良い意味でも悪い意味でも心に残っていることを書いてまとめようと思う。テーマは表題にもしたが津波への危機感と救える命についてだ。
私が東日本大震災以降、見聞きしたものの中で特に心に残っているのは市民に避難を呼びかけ続け津波に飲まれてしまった「双葉郡の警察車両の話」、建物の内部に津波が迫るまで避難のアナウンスをし続けた「防災庁舎で避難を呼びかけ続けた遠藤さんの話」そして避難の判断が遅れ、全校児童の7割に当たる74人が亡くなった「大川小学校の悲劇」である。それぞれが東日本大震災について、津波の被害について考えるときに無視をしてはいけない出来事である。ここで詳細は記載しないが、一度はきちんと触れてほしい。
上述した出来事に共通して言えるのは、私たちには美談にせずに彼らにきちんと意味を持たせる義務があるということである。私たちは自分の直接的関与の無い悲劇にはどこか他人事を装うきらいがある。それは確かに私たちが生きる上で非常に重要な能力であろう。だが人間はたくさんの困難を経て進化をしてきた生き物だ。彼らの死に向き合い、意味を持たせ、何より自分、そして自分の大切な人を守るために彼らの声に耳を傾けるべきだ。避難を呼びかけ続けた警察官や防災庁舎でアナウンスを続けた遠藤さんは、皆が危機感を持って避難し、避難を終えたことの可視化ができれば呼びかけを終えて避難できただろう。大川小学校で亡くなった子どもたちも避難の手順だけで行動せずに臨機応変に行動できていれば、きちんと津波が迫っていることを明確に認識できていれば地震が、津波が恐ろしかったと話しているメンバーに彼らがいたかもしれない。これは結果論だ。だが、結果を通じて第二の被害を無くすことはできるはずである。
昨今、私たちは格段に情報へと触れやすくなった。東日本大震災に関しても例外ではない。津波の映像や当時のニュースがYouTubeなどにアップロードされているし、被害を伝えようとする団体がまとめているサイトなども存在する。現地に赴けば当時の話も聞くことができる。
災害大国とも呼ばれる日本では誇張なしに災害への備えが自分を守ることに繋がる。それは決して物量的な準備で終わるものではない。10年という月日が経った今、自分への備えとして彼らの訴えに今一度耳を傾けてもらいたい。