私が初めて宮城県南三陸町に訪れたのは、2019年2月、ボランティア活動推進センター主催のボランティアツアーの下見でした。私はツアーの企画メンバーになり、2018年の夏まで福島県でボランティアをしていたのですが、宮城県の状況やニーズも知りたいということで今回のボランティアツアーは南三陸町に行くこと決めました。そして、このツアーの下見が人生で初めての宮城県となりました。
南三陸町では、ホテル観洋に宿泊をしました。ホテルの露天風呂や南三陸町から見える志津川湾がとてもきれいで幻想的でした。
ホテルで行っている語り部バスに参加し、津波の被害を受けた高野会館を間近で見ました。テレビ越しや新聞などで見るよりはるかに津波の破壊力、自然の脅威を感じました。
また、さんさん商店街にあるモアイ像についても説明してもらいました。1960年のチリ地震による津波で旧志津川町が被災した際、津波の記憶を未来に伝えようと、イースター島のモアイが,町内の公園に設置されるも、東日本大震災で津波に流されてしまい後に頭部だけが発見されました。その後、復興を目指す南三陸町に新たにイースター島の黒曜石と珊瑚の目が入った大変貴重なモアイ像が設置されました。チリ地震,東日本大震災という大きな出来事で遠く離れた国同士が一つになり未来に向かっていることを知って,言葉は違うけれど思いで一つになれるのだと思いました。
ボランティアツアーは翌月に開催し、被災された農家さんの畑でボランティアをしました。お昼ご飯には自分達で火をおして南三陸名物のかまぼこを焼いて食べました。ボランティアツアーのプログラムに火おこし体験を入れたのは、実際に被災した時に暖をとって寒さを凌いだと聞き、私自身も火のおこしかたを知らなかったので、参加者にも実際に体験して覚えてもらいたいと思ったからです。
他にも防災庁舎やさんさん商店街を訪れました。防災庁舎は周辺の土地を嵩上げしているため、見づらくなっていましたが当時の状態が残されています。ここで実際に起こったことを伝えていかなければならないと思いました。
また、ボランティアツアーでは、民泊を取り入れました。民泊先では当時のことを話して頂き、観光名所にも連れて行ってもらいました。何処も自然が豊かで感動しました。また、民泊先でのご飯はとてもおいしく食べ過ぎてしまいました。
私はこのツアーで地元の方々のあたたかさや自然の豊かさ、食材のおいしいさ等、この環境が好きになりました。そこでもっと南三陸町に行きたいと思い、ツアーの企画メンバーでゴールデンウィークに再び南三陸町を訪れました。ボランティアツアーの時にお世話になった東京から移住した農家の方のお手伝いに行きました。そこでは,ジャガイモの植え付けや枯れたブドウのツルの片付け,スナップエンドウの収穫をしました。そして収穫した野菜でバーベキューをしたり,温泉にも連れて行ってもらいました。また,南三陸町に移住したきっかけや農業を始めたきっかけや大変なことなどたくさん話をしてもらいました。農作業は疲れたけど,楽しかったです。また,このメンバーでお手伝いをしに行きたいです。
この経験から、私は,将来南三陸町に移住したいと考えるようになりました。理由としては,南三陸町の食材がおいしく,海と山の自然がきれいで豊か,地元の方々の優しさ,地域の関係が深く,自分もその中に入って生活していきたいと思ったからです。また,これからの南三陸町の変化を一緒に作り上げたいとも思いました。また,不自由なこともありますが,そこを自分たちで解決していきたいと思っています。