広野町は、東京都心から約240km離れた福島県浜通り地方の中央に位置し、双葉郡の最も南に位置している人口約5,000人(平成27年)の町である。広野町のキャッチコピーは「東北に春を告げる町」で、冬でも雪の降らない温暖な気候である。ミカンがなる最北の町としても有名で、ミカンが町のシンボルにもなっている。
震災当時、福島第一原子力発電所事故の影響により、広野町全域が緊急時避難準備区域に指定され、3月13日に町長より避難指示が発令された。2012年3月31日には避難指示が解除され、町に帰還することが可能となった。
その原発事故に対応する最前線となったのが、広野町北部に位置する「Jヴィレッジ」である。Jヴィレッジはサッカーなどを対象としたスポーツトレーニング施設だが、原発事故以降、スポーツ施設としては使用できず、2018年4月20日全面再開し、2020年東京オリンピックの聖火ランナーのスタート地点に選ばれた。
広野町にはJR常磐線「広野駅」があり、特急「ひたち」の停車駅にもなっている。2020年春からSuica利用可能エリア拡大に伴い、広野駅でもSuicaの利用が可能になり、首都圏からのアクセスが向上した。駅自体は昔ながらの駅舎であり、ゆっくりとした時間が流れるようなよい雰囲気を味わうことができる。また付近に高校があることもあって朝や夕方の通勤通学時間帯になると多くの人でにぎわっている。多くの利用者は買い物や仕事、通学、友達と遊びに行くなど「いわき駅」方面への電車に乗っていく。
広野駅東側は、津波の大きな被害を受けた。その駅東側の地域を復興ゾーンとして位置づけ、新たな市街地づくり事業を広野町は進めている。その事業の第1期として2016年には「広野みらいオフィス」が開業した。2018年秋には「ハタゴイン福島広野」が開業した。駅東口広場整備なども行われ、今後もさらに整備事業は継続されていく。駅東側は,きれいに整備され、復興の真っただ中という雰囲気を感じることができる。ホテルにも何度か宿泊しているが、とてもきれいなホテルで料理もとても美味しいものであった。近くにはコンビニもあり、ちょっとした買い物がしたくなっても大丈夫な立地の良い場所である。ホテルに宿泊する人の多くは出張や工事関係者の人が多いように感じた。
広野町の太平洋沿岸部は、震災の津波被害により大きなダメージを受けたため海岸堤防が整備された。海岸堤防には県道と広場が整備され、さらにクロマツやコナラなどの苗木が植えられた「ひろの防災緑地」が整備されている。遊歩道も整備され、町民の方々の散歩コースにもなっている。実際に歩いてみると海風を感じながら心地よく散歩ができた。また広野町の特徴でもある海と山の両方をかなり近くで感じることができた。
海まで下りることも可能であり、砂浜を歩くこともできる。実際歩いてみると穏やかな海で、まさかこの海があの大きな津波として押し寄せてくるなど想像ができないほどであった。
2016年3月5日には商業施設である「ひろのてらす」が開業した。日本一小さなイオンと言われている「イオン広野店」をはじめ、飲食店やクリーニング店が店舗としてあり、町民の方々の生活を支えている。感覚的には,コンビニを広くしたような店舗であり、生鮮食品だけではなく、雑誌や生活必需品なども取り揃えている。小さなフードコートのようなものも併設しており、学生の勉強場所や町民の方々の憩いの場所にもなっている。
広野町北部には「二ツ沼総合公園」が位置している。この公園には国際認定されているパークボルフ場やサイクリングロード、バーベキュー施設、体育館や合宿所などがある。また農産物直売所も敷地内にあり、広野町特産の野菜などが売られている。さらに公園内には国産熱帯フルーツ栽培施設があり、町の新たな特産物として国産バナナの栽培が行われている。ここで栽培されているバナナは「綺麗」と命名され、皮まで食べることができる。「綺麗」は同施設で購入することができる。実際に購入して食べてみたが、見た目は小さいものの糖度がかなり高く甘かった。施設の方は「少し栽培方法を変えたからか甘くなったと思うよ」と仰っていて、今後もさらに美味しいバナナが出来上がることが期待できる。最近ではコーヒー豆の栽培も始めたらしく、今後の広野町の栽培施設の発展が楽しみである。
そして,広野町の最も魅力的な部分が「自然」である。海そして山に挟まれたような場所に位置する広野町は,その両者を存分に感じることができる場所である。朝になれば海から昇る朝日を見ることができ,海の空気と山の空気を感じながらゆっくりとした1日を過ごすことができる。気候も比較的温暖で,夏暑すぎず,冬寒すぎずの良い土地である。
広野町の方々の温かさというところも1つの魅力である。そして、その温かさに触れたことが、私が広野町を大好きになってしまった一番の要因ではないだろうか。初めてお会いした日から1年に2度、3度会う機会があったが、だんだんと顔なじみのようになっていった。そんな顔なじみになった方々は、広野町の復興に大きく携わり、より広野町を盛り上げていくために日々奮闘されている方々だ。広野町の魅力を新たに創造し、また今まであった魅力をより際立たせようとしている人たちが頑張っているというところに私は一番の魅力を感じた。
このような広野町に魅せられて,何度も何度も訪れるようになってしまったが,広野町にはもっと多くの魅力が詰まっていると私は考える。私が初めて広野町を訪れたのは,2017年夏であった。この時と比べ,復興は進んでいるように感じる。変わったところもあれば,変わらないところもある。復興してよくなったところ,昔ながらの良いところなどきっとまだ広野町には無数の魅力があるはずである。今後も広野町の魅力を探しながら,その魅力に魅せられていきたい。