崇高のコントラスト

立正大学大学院文学研究科哲学専攻
修士課程

研究内容

大学に入学したときから「美」をテーマにしたいと考えていました。卒業論文では、「美しい」という感情を惹起させる「美」の対象について考え、また現代の芸術に関わって写真についても考察しました。「美」とは何かということを探ろうとするときに、ドイツの哲学者であるアルトゥール・ショーペンハウアーの思想が手がかりになると考え、主に彼の主著『意志と表象としての世界』を参考にしました。

写真についてはフランスの哲学者であるロラン・バルトの『明るい部屋』を用いました。バルトは、写真の性質は「かつてあったがもはやない」ということであると言います。私はここにショーペンハウアーとの類似性があるのではないかと考えました。凄惨な報道写真などを観ているときは、目的など求めず、もう取戻せないものをただ観つめることしかできません。こういう感覚は両者に共通しますし、現代にも通じる哲学であることの証明なのではないかと思います。

卒業論文では主に美の対象について考察したこともあり、主観の美の感情については深く言及していませんでした。修士論文では、美的体験における感情について研究していきたいと考えています。ショーペンハウアーは、美的体験における感情を「美」と「崇高」に区分するのですが、崇高の感情に見られる意志の肯定と否定のコントラストを中心に研究していきます。また、この区分の参考元であるイマヌエル・カントの『判断力批判』と比較し、ショーペンハウアー美学の独自性を明らかにしていきたいと思っています。

研究の魅力

自分が何となく考えていることについて、過去の哲学者が言っていたりすることが多々あります。「そうそう、こういうことを言いたかったんだ!」という発見や、「そういう発想があるんだ!」という驚きを得られるところがとても面白いです。哲学という学問の特徴の1つかもしれませんが、自分のために考えたいことと、学問として勉強していることの距離がとても近く感じます。私は修士論文の作成を通じて、「自分が受けた美の印象を言葉にできるようにしたい」、「美の経験の意味を捉えたい」と思っています。

ショーペンハウアーは「盲目的な生への意志」が人間なら誰しもに働いていることを説きます。これは、生存への意欲が常に働き、目的を達成しても新たに目的が現れる、というように、永続的な満足にいたるような目的が存在せず、人はやがて苦悩を覚えるといった考え方です。この思想が、ショーペンハウアーが今日にいたるまで厭世的な哲学者だと一般的に解釈されている所以ですが、たんに生きることが苦しいということを説いていたわけではありません。苦しみの元でもある意欲を鎮めるための方法も考えました。その1つが美学です。

ショーペンハウアーは美的体験においては、われわれの意志は鎮静していると言います。例えば、絶景を観たときに、その瞬間は目の前の景色に心奪われ、観ることに没入すると思うのですが、このようなときに目的へと向かう意欲は鎮まっています。意味や目的を求めず、ありのままの光景を直視することが意欲の鎮静につながるのです。

大学院生のキャンパスライフ

授業では原典の読解に取り組むことが多く、英語、ドイツ語の勉強は欠かせません。週3回は、学部生との自主勉強会や他大学の大学院生との自主勉強会に参加していて、ショーペンハウアーや他の美学思想について勉強しています。自主勉強会では、理解したつもりになってしまっていることを、問答で徹底的に叩き潰してもらいます。哲学では、様々な人と問答し考えを深めることが重要で、1人ではできない学問です。また、休みの日には大学提携の美術館に行ったりして「美」に触れるようにしています。
昨年度、立正大学で催された西田哲学会とショーペンハウアー協会のそれぞれの全国大会のお手伝いをしました。内外の研究者の方々による素晴らしい発表に刺激をいただきました。

興味を持たれた方へ

大学院では、自分の興味・関心のある事柄に引き続き取り組むことができるのがとても魅力的だと思います。私が大学院に進学したのは、大学に入学したときのテーマを完遂したいという思いが大きかったからです。卒業論文では消化不良だった部分にもう一度取り組み、さらに掘り下げたいと思います。
これから卒業論文に取り組む方が多いと思いますが、自分が本当に取り組みたいことがなかなかわからない、時間に追われてしまった等で卒業論文では思いを遂げられない方もいるかと思います。そういう方には大学院で自分が納得できるまでじっくりと取り組んでもらえたらと思います。とことん取り組んだ経験は、きっと今後の人生でも素晴らしい礎になると思います。

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