泥をみずに、人を見る
地球環境科学部 地理学科1年 F・K
私はこれまでに、2回の災害ボランティアに参加した。2回とも台風19号で甚大な被害をうけた福島県いわき市での活動だった。
なぜ私がボランティアに参加したか。被災された方のために何か力になってあげたい、というのは表向きの理由で、本当の理由は、ボランティアしている俺って偉い、すごいですアピールをしたいといったなんとも不純な動機である。もちろん助けになりたいという気持ちはあるが大きなウェイトを占めるのは後者だった。
最初はそんな動機で参加したが1回目の活動を終えるとボランティアに対する姿勢が変わった。
1回目の活動は屋内の作業で、主に床下の泥かき、家財道具の運び出し、清掃を行った。活動場所に着くと意気込み十分で、重い荷物を運び、清掃活動を一生懸命行った。しかし、仕事がなくなると、手持ち無沙汰になり、落ち着かなくなった私は家の持ち主の方に「なにか仕事ありませんか?」と仕事したいアピールをしていた。そんな私を見ていた先輩が、「あまり聞きこまない方がいい。被災された方のやり方がある。積極的に聞くのはかえってストレスになる」と教えてくれた。ハッとなった私は自分勝手な行動に後悔した。
この反省を次に活かしたいと思い、2回目のボランティアに参加した。そして、プログラムの中に、ボランティア活動をたくさんしてきた長源寺副住職の栗山さんの講演を聴く機会があった。栗山さんは「泥を見ずに、人を見る」という言葉を教えてくれた。意味は、被害のあった場所を見るより、被害にあった人と会話をする方が大事ということだ。
この言葉を前回の私の行動に照らしてみると「泥を見て、人を見ず」。まさに反対のことをしてしまった。また、人の心に寄り添う傾聴が大事ともおっしゃった。ボランティアは作業をたくさんこなすのではなく、会話をして人の心に寄り添うことが大事なのだと気付かされた。
次の日から、いろんな人と会話をしようと心がけた。そしたら、いろいろな発見をすることができた。
仲間との会話では、一見初対面の人とでも実は繋がりがあって、他大学の人とは連絡先を交換し、これからも交流できるようになった。被災された方との会話では、詳細な被災状況や農業の知識、土地のことなど深い会話ができた。それにともなって自分の知識も増えた。このことから会話することの重要性を感じた。
会話はボランティアだけでなく、自分の日常生活に必要でかつ大事である。会話をせずに生きていく人はおらず、また会話をすればいろんな情報をつかむことができ、たくさんの可能性が生まれる。
2回のボランティアしか参加していないが、どちらの活動も私に大切なことを教えてくれた。ボランティアは他人のためにしてあげるという考えが濃厚だが、実は自分に向き合う機会をくれ、自分のためになるものでもある。ボランティアは私を成長させてくれる。これからも自分自身を成長させていきたいと思う。