29 身延隠栖

画像
版画 聖語 翻刻

【 解 説 】 日蓮聖人は、鎌倉に留まり続けて、これまで通り幕府を諫暁しても無意味であることを悟り、少し離れたところから世の中の移り変わりをながめることを決意しました。また自らの滅後のことを考え、弟子たちの育成も図らなければならないことを考え、信者である南部実長の招きもあって、文永11年(1274)5月に身延山へと入り弟子の育成や信徒の教化に励むのでした。