第97回公開講座「将来なんか恐くない~なんとなく幸せで、なんとなく不安な時代の生き方論~」 第1部

2013/12/27

第97回公開講座 「将来なんか恐くない~なんとなく幸せで、なんとなく不安な時代の生き方論~」

○ ○ とは、常に気にしている問題でもあります。

司 会古市さん、アンケートの集計結果を見てどうお感じになられましたか?

古 市こうして見ると怖いものばっかりですよね。歳を取るほど深刻になっていきます。本当に不安じゃないことって頭にイメージも湧かないと思うので、「○○なんか恐くない」と言われてそこに入れてしまう言葉は逆に普段から意識している言葉だと思います。20代の方々のキーワードはそこまで深刻なものはないように見えますね。40代なんか「死」ですからね。このアンケートを日本全体で取っても結果はあまり変わらないと思います。というのも、先進国で幸福度や満足度の調査をすると、20代が一番高く、30代、40代と加齢と共に下がり、高齢者になるとまた高くなるという傾向があります。高齢者の満足度が高い理由として「あきらめ」があるのではないかと分析する研究者もいます。若い人の満足度が高いのも、将来に対して「あきらめ」の気持ちがあるからかもしれません。

司 会では、ここからは立正大学の先生方にお話を伺いましょう。

経済学部 経済学科 講師
慶田 昌之

東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。東京大学21世紀COEプログラム 拠点形成特任研究員。東京大学大学院経済学研究科・日本経済国際共同研究センター学術支援専門職員。2009年~現職。専門分野は、金融論、マクロ経済学、国際金融。

社会福祉学部 社会福祉学科 講師
関水 徹平

早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。早稲田大学文学学術院助手、同非常勤講師を経て、立正大学社会福祉学部専任講師。専門分野は社会学。著書に「独身・無職者のリアル~果てしない孤独~」(扶桑社新書・共著)がある。

法学部 法学科 教授 学長補佐
永田 高英

早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。外務省調査員(国際人道法担当)等を経て、2003年より立正大学に奉職。2 0 0 9 年11月~2010年8月、オランダ・ライデン大学ロースクール客員研究員。専門分野は国際法。

慶田 昌之 講師 就職活動は入試とはルールがちがう

司 会日ごろから学生の皆さんと接しておられる先生方のお立場から、このアンケート結果を踏まえて、慶田先生はどのようにお感じになられましたか?

慶 田10代~20代のアンケートの1位は「就職」に関わるワードでした。
私のゼミの学生もそうですが、就職に関して不安を感じている若者は多いですね。
就職活動についていえば、不安のあまり、面接試験でも「正解」を求める風潮があるように感じます。「こういう質問にはどう答えたらいいですか」「どういう風に答えたら正しいですか」という質問も少なくありません。

面接官は正解を求めているのではなく、「あなたはどんな人間ですか?」と問うているのです。つまり、自分がどんな人間であるかということをどう示すか、ということにもっと集中するべきです。
それによって、面接官は、この学生は自分の会社に適している、あるいは適していないという判断を行う。それでいいのではないでしょうか。万が一、適していない会社に入っても、後々苦労するだけです。
自分に適した仕事をひとつ探し出せればいいのですから。

学生の皆さんは、中学、高校、そして大学と、今まで試験によって、ある水準に達したら合格、そうでなければ不合格というルールの中で選ばれてきました。
しかし、就職試験はそうではありません。ある尺度で水準に達するかどうかを判断するのではなく、その人が会社に適しているかどうか、会社で能力を発揮できそうな人材かどうかで判断するのです。就職においては、今までの入試とはちがうルールで合否が決まるということを、学生の皆さんによく理解してほしいと思っていますし、大学の教員としても伝える必要があると感じています。

古 市本当にその通りだと思います。日本にはどうしても新卒一括採用というのがあるから就職活動を大学受験と同じように考えてしまう人が多いと思うんです。試験を受けて会社に入るわけですが、それが当たり前である必要はないと思います。大学を卒業してからブランクがあって会社に入る人がいてもいいし、そうじゃない方法があるにも関わらず、さも何も考えないでベルトコンベアに乗ってしまうように、就職しなきゃとか、この時期に就活しなきゃと就職や就活することを目的に思っている学生の方が多いのではないかと感じますね。

関水 徹平 講師 引きこもりとは、社会との関係を模索する経験

古 市関水先生は「引きこもり」の研究がご専門ということでしたが、若者の生き方ということを絡めて、今日のテーマに沿ったお話をお聞きしたいのですが。

関 水私は、引きこもり経験をされた方にインタビュー調査をしてきました。その中で、「自分にとっての引きこもり経験とは、社会との関係を模索する時期だった」と語った方がいました。他の引きこもり経験者の方の話をうかがっていても、自分なりの社会との関わり方を模索し続けている—と私は感じました。
私たちも、自分にできること、できないことを見極めながら、自分はどう社会と関わっていくべきかを模索しています。そういう意味では、引きこもり経験というのは極端な形ではありますが、だからこそ、私たちが社会と関わって生きていくとはどういうことなのかを根本的に考える手がかりを与えてくれると考えています。
私の授業では、引きこもりについての本を読み、ディスカッションをしています。

そのなかで、乱暴な分け方かもしれませんが、学生の態度は、大きく3つに分けられるように感じています。

①引きこもりの人たちは、弱者であり、助けてあげなければと考える。
②引きこもりはあくまでも甘えであると批判する。
③引きこもりの人たちに共感を寄せる。

①は、自分は引きこもりの人たちとはちがうと考えています。
一方、②の学生は、感情的に批判するものの、その裏には(自分もつらいけどこんなに頑張っている)という思いがある。
今の若者たちは、親の世代ほどは安定した仕事や家庭をもつことが容易ではなくなっている。だから、②と③の学生のように、引きこもり経験を他人事とは感じられないのかもしれません。
私自身は、かつて多数派だった、「安定した雇用」や「安定した家族」を得るという生き方にしがみつこうとするのではなく、これまでの生き方のモデルを考え直すことが大事だと考えています。
その際、引きこもりの経験者が語る、生き方の模索の経験、自分なりに社会との接点をつくり出そうとする姿勢というものが、とても重要なヒントを与えてくれるように思います。

古 市引きこもりという言葉は、ここ10~20年で聞くようになったと思いますが、このような現象は昔からあったのでしょうか。

関 水引きこもるという現象自体は、新しいものではないと思います。ただ、先ほど、多数派の生き方という話をしましたが、日本社会で、安定した雇用と安定した家庭に支えられた生活という生き方のモデルが出来上がったのは、高度経済成長期です。進学率が上がり、新卒採用が制度化されていくなかで、そのような生き方のモデルから外れた若者の一部が、引きこもりという形で社会問題になっていったと考えています。とくに、1990年代以降、若者の就職難が深刻化するなかで、社会的な注目を集めていった現象です。

永田 高英 教授 コミュニティサービスラーニングで教育の質的転換を

永 田こちらから古市さんにご質問したいのですが、現在、文部科学省や中教審などで、大学が社会のニーズや課題に応えられる人材を育てていないのではないか、学生の勉強時間も、他の先進国に比べて非常に少ないなどとお叱りを受けます。
そういう中で、一方通行の座学中心の授業スタイルではなくて、学生が主体的に考え、行動し、課題を発見したり、解決策を考案したりするような、教育の質的転換が求められています。

その一環として、コミュニティサービスラーニングという教育手法が注目されています。これは教室で学んだことを、地域社会の課題の一端を解決するための社会的活動に活かすことを通して、学びの活性化や社会化、ネットワーク化などを図ろうとする手法です。
たとえば、ゴミ問題、独居の高齢者や子育てに悩む母親たちのケア、過疎の村やさびれた商店街を活性化させるなど、さまざまな社会的な課題をテーマとします。

立正大学でも個々の教員や学生が個人で断片的な努力をすることはありましたし、特にゼミという活動を通じて、外に出掛けていって様々なものを見たり、経験したり、一緒に考えたりということはなされてきたわけですが、今後はこれをもう少し組織的な取り組みの次元に昇華すべく、現在鋭意設計中です。
教室から外に出かけていって教育を行うというのは、ある種の「フェスタ」といいますか、「非日常」として学生にも様々なことを学んでもらえると思います。このように学生の社会との関わり方、社会への扉というものを教育プログラムとして用意する、あるいは見せる、背中を一押ししてあげる、という上で、古市さんにご助言いただけたら幸いです。

古 市とても面白い試みですね。でも難しいなと思うのは、学生は4年間で卒業していくので、大学側は人がどんどん変わっていく。一方で地域コミュニティはずっと変わらない。そこがともすると「一瞬の非日常」で終わってしまうのではないかと思いました。
たとえば文化祭に向けて、学生が地域の人と協力して何かのイベントを作ろうとする。イベント当日はとても盛り上がるけど、終わったら地域との共同という目的は忘れて、ただの仲の良いサークルになってしまう。そのあたりはどうお考えですか?

永 田おっしゃるとおり、教育プログラムの連続性を保つのは非常に難しい。学生が入れ替わっても、大学側、教員側がしっかり作っていかないと、瞬間瞬間は多少学ぶことはあったとしても、一過性のものに終わってしまう危険性はあるなと感じております。

古 市いかに仕組みを作っていけるかですよね。今僕の手元にあるペットボトル、これは立正大学オリジナルですが、大学の年表に1580年創設と書いてある。もちろん原型だと思いますが、ここまで一つの機関が残ってきた仕組みづくり、この大学の基礎を作った人々の仕組みづくりというのがある程度しっかりしていたからここまで残ったのではないかと思います。それと同じことなのでしょう。

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