モラりすレポート

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対談vol.4 手話 竹内洋岳×社会福祉学部2年 加藤さん 言語を使わないコミュニケーション。その延長としての手話は、多くの可能性を秘めている。

国連で言語として認められた手話。
熊谷キャンパスにそのサークルを立ち上げた。

加 藤今年、熊谷キャンパスに手話サークルを立ち上げました。他大学とも活発に交流しています。熊谷市のサークルにも通い、耳の聞こえない高齢者の人々とふれあうようになり、最近やっとだれかを介さないで会話ができるようになりました。夢は特別支援学校の先生になることです。

竹 内手話は言語によってちがうよね、世界中にあるんですか?

加 藤あります。日本手話、アメリカ手話…。

竹 内共通言語になっていったりはしない?

加 藤ないですね、でもひとつだけ世界共通の手話があって…、アイラブユーっていう手話で、これだけは世界共通なんです。アルファベットの大文字を組み合わせたそうで、聴覚障がいをもつ方々は写真を撮る時はだいたいこれです。

竹 内なるほどね。それはすごくいいね。国や地域、言語や宗教、文化が違ってもそれを乗り越えて、ひとつの言葉-サインで気持ちを伝えることができるというのは、すごく可能性を秘めている気がする。

加 藤そうですね。

竹 内手話も、その地域地域で、利便性に合わせてつくられたのでしょう。言語と同じ発展をするから共通にはならない。でも、他の言語を共通化することはもはや不可能。手話も不可能だろうけど、言語よりはサインとしてつくれると、ちょっとちがってくるでしょうね。

加 藤そうですね。熊谷市のサークルの方もよく外国のろう学校を見学されてるんですが、聴覚障がいをもつ人と手話はちがってもなんとなくは通じるそうです。やっぱり声に出す言葉とはまたちがった何かがあるのかなと思います。

竹 内人類は最初言葉を発してなかったからね、おそらく、身振り手振りでコミュニケーションがスタートしたのであって、言語はそのあとについてきたもの。手話というのは私たちのコミュニケーションのオリジナルの形をもっているでしょうから、言語を超越する可能性があるんだろうね。

加 藤私も手話を使って話す機会が多くて、声に出して言えないことを手話なら言える。手話だったらもっと言いやすいのに…と思うことが多い。手話にはそういう力もあるのかなと思います。

竹 内手話を、聴覚障がいをもつ人たちだけのものにするのはもったいないような気がする。

加 藤それはそうですね。

竹 内聴覚障がいをもつ人同士では、言語としての役割を果たしていない。私たちが英語を勉強するのと一緒で、周囲の人、聴覚障がいをもたない人が学ばないとコミュニケーションが図れない。その取り組みっていうのはあるの?

加 藤国連では、手話は言語であると認められて、日本でも認められるようになりました。鳥取県では手話条例を出して、小学生にも学ぶように奨励しています。北海道でも同じように成立するなど、全国的に広がりつつあります。

竹 内もし手話ができたら面白いとは思う。静かにしゃべれる。声を発せずに…というのは面白そうな気がする。

加 藤先日、「情報アクセシビリティフォーラム」というイベントがありました。聴覚障がいをもつ方々を支援する人や企業経営者が講演する中、「日本は高齢社会で、いつだれが聞こえなくなるかわからない」ということを言った人がいました。聞こえないのはマイノリティではなくて、ほとんどの人が加齢とともに耳が遠くなる…と。その原因だって、病気、事故、ケガ…何によってなるかわからない。そう考えたら小さい頃から手話をやって損はないんです。そういう話を多くの人に話したら手話も広がるかもしれません。

竹 内それはあんまり考えたことがないな。聴覚障がいって、生まれながら…というイメージが強いから。たしかに病気やケガ、加齢で聞こえなくなることがある。そういう意味では、だれもにも必要なんだね、手話は。今はそうじゃなくてもいずれ使う日がくるかもしれない。

加 藤そう思います。

ボディランゲージの延長のツール
その発想が手話を身近なものにする。

竹 内耳の不自由な人っていうけど、聴覚障がいをもつ人たちは、自分たちが不自由だって必ずしも思ってないよね?

加 藤思ってないですね。

竹 内不自由だっていう言い方は、聞こえる側からの視点だからね。じゃあ、耳が聞こえない人にとっての特権ってなんだろう?

加 藤聞きたくないことを聞かなくてすむのは、ちょっとうらやましいなと思う。周囲からいろいろ言われるとか、陰口とか。自分が回りの声によって乱されない。

竹 内自分が必要な情報だけをとることができるわけだ。

加 藤情報の取捨選択ができるというのはメリットだと思います。

竹 内うろ覚えだけど、人間は目から入る情報よりも耳からの方が何十倍も多いらしい。耳の方が感覚器として多くの情報を得ている。目で見て判断するよりも、音などで判断することが多いわけだ。耳から入ってくる情報は余分な情報も多い、自分で情報を選びとれるという能力は、耳を普通に使っている人間よりもより繊細で鋭いものをもっているかもしれない。そういう人たちが、手話を使って、そういう感覚を私たちに教えてくれるならば、そのツールとして手話はすごく重要になってくる。

加 藤手話は、私に様々な人と引き合わせてくれました。言語っていうだけじゃなくて、自分をさらけ出せる場所だと思ってます。

竹 内もっとふれる機会があったらいいんだけどね。最近私の講演でも、手話が入ることが多い。私は早口なので、すごく忙しそう。しかも一人じゃなくて、数人で交代制でやってる。同時通訳と一緒だよね。

加 藤そうですね。

竹 内同時通訳っていったら、ほんとにスペシャリストだから。手話のエキスパートになれば、おのずとモラリストになる。どんなことでも手話でできるとか…。

加 藤頑張りたいです。

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