古書資料館通信創刊号

開館一周年を迎えて

情報メディアセンター
センター長 友永昌治

 おかげさまをもちまして古書資料館も開館1周年と相成りました。これも皆様のご利用あってのことと深く感謝いたしております。

 古書資料館では、河口慧海旧蔵資料、明治期以前の古書や仏教・日蓮宗関連の貴重資料などを所蔵しておりますが、かつてはスペースの関係から所蔵場所があちこちに分散し、参照するにも不便な状態でした。それが前年度、中高馬込移転に伴う施設利用の見直しにより、図書館のリニューアル、ラーニングコモンズ開室、そして当館の開館に至りました。古書・貴重書等の資料を一同に集めるばかりでなく、ラーニングコモンズ指向のスペースを設けておりますので、資料を前にしての多様な研究・教育も可能です。

 今後は学術研究・教育の更なる便宜と支援を図り、古書資料のメッカとなるべく図書館員共々努力いたす所存でありますので、皆様方には相変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。

平成26年4月7日 開館前日の内覧会
平成26年4月7日 開館前日の内覧会

1年間を振り返る

立正大学図書館(品川キャンパス) —古書資料館を前史として 第1回

はじめに

古書資料館専門員
小此木 敏明

 古書資料館が開館となって1年が経ちます。これを機に『古書資料館通信』を発行する運びとなりました。学内・学外を問わず、古書資料館の存在を知ってもらうよい切掛けになればと思います。まずは立正大学品川図書館の歴史、次に古書資料館の収蔵資料や分類の概略などをそれぞれ2回ずつ、計4回に分けて述べていきたいと思います。

立正大学図書館略史(品川キャンパス)

 立正大学品川図書館の歴史について書かれたものには、桜井良策氏の「図書館三十年略誌」(『立正大学新聞』46, 1933.10.6)、野村耀晶氏の『立正大生活』(現代思潮社, 1953)所収の「図書館」(略史含む)があります。本稿を書くに当たっては、桜井氏と野村氏の著述はもちろん、大学史1や学内に残る雑誌・新聞などを調査しています。不明な部分に関しては、推測を交えつつ述べていきますが、今後、本格的な図書館史が書かれる際に参考となるよう、調査の経緯を交えつつ、可能な限り情報源を注記していくことにします。また、文献の引用に関しては、読みやすさを考慮し、旧漢字などを現行の字体に改めています。

立正大学図書館関連年表(1)  ※色付部分は大学の動向2

明治05年18728月6日東京芝二本榎の承教寺に日蓮宗小教院を設立する。
明治06年18736月頃日蓮宗小教院を日蓮宗宗教院に改称する。
明治8年18755月5日日蓮宗宗教院を日蓮宗大教院に改称する。
明治17年18849月12日第3次本山会議にて大教院を大檀林と改称することに決まる。
明治29年18967月3日宗令第4号にて「図書器機管理規則」を含む、宗則4号学則附録林内規則を布達。
明治37年19044月1日専門学校として大崎に日蓮宗大学林を開校する。
明治40年19074月1日日蓮宗大学林を日蓮宗大学に変更する。
明治42年19096月1日日蓮宗第4宗会に大学図書館設立案と寄宿舎増築案が提出される。
明治43年19104月7日
宗令第114号での学則改正にて「図書主任」の役職が加えられる。
明治43年19105月15日「仮図書室」が竣工(棟上は同年3月5日)。
明治43年19104月16日創立第7回陸上大運動会にて図書館地鎮祭が行われる。
大正02年191311月13日図書館敷地の整理の記録があるも、その後の工事の記録なし。
明治期
図書館建設計画と仮図書室

 明治5年、政府は神仏合同の教育宣伝機関として大教院を設置しました。これを受けて日蓮宗では、大教院の支院として小教院(翌年に宗教院と改称)という教育機関を港区芝二本榎の承教寺に置きました。この小教院が立正大学の起点となります。政府の大教院は明治8年5月に解散し、各宗が独立の大教院を建てることになります。日蓮宗では、承教寺内に置かれた宗教院を大教院としました。その後、大教院は大檀林と改称し、明治37年には中檀林と合併して日蓮宗大学林となり、明治40年に日蓮宗大学へと改称します。現在の立正大学は、大正13年に大学令の設立認可を受けた時に定められた呼称です。

 本格的な図書館が完成したのは意外に遅く、立正大学となって2年後の大正15年のことになりますが、それ以前には、図書館に類する施設はなかったのでしょうか。調べてみると、日蓮宗大学と呼ばれていた頃にも図書館の建設が計画されたり、図書室が設置されたりといった動きがあったことが分かりました。

 まずは図書館の建設計画について見ていきましょう。この事業は、明治42年6月1日に開催された日蓮宗第4宗会に提出され、第4宗会紀念事業に位置づけられました3。発起者は、当時の学長だった小泉日慈氏と教頭の風間随学氏となっています。計画によると、図書館の建設を2期に分けて行い、経費は募金によってまかなうとあります。第1期の期間は3年で、募金が予算の3分の2に達したところで書庫を建て、第2期として閲覧室などの建物を造り、さらに資料を蒐集するという流れになっていました。書庫は焼過レンガ3階建(建坪90坪)で75,000冊の収蔵を見込んでおり、閲覧室は木造瓦葺2階建(建坪70坪)で、読書室・貸出室・事務室などを備える予定と書かれています4。理由は分かりませんが、残念ながらこの図書館が完成することはなかったようです。

 ただし、この計画が途中までは進行していたことをうかがわせる記録が2つあります。1つは明治43年5月15日の図書館の地鎮祭5、もう1つは大正2年11月13日の図書館の敷地整理です6。ですが、敷地整理の後に工事が開始されたという記録は、今のところ確認できていません。ちなみに、図書館建設資金の寄付についてですが、現在調査した範囲内で最後に寄付が行われたのは、明治44年7月24日になります7

 次に、図書室について確認したいと思います。図書館が完成するより前に資料管理の役割を果たしたのは仮図書室だったと考えられます。図書館の建設案が出された第4宗会には、寄宿舎の増築案も提出されており、宗務院評議員会によって可決されています。この案には、「図書室平屋一棟」を増築することも含まれていました8。明治43年4月16日には「仮図書室」が竣工したという記録が見られます(棟上は同年3月5日)9。おそらくこれが、増築された図書室でしょう。仮図書室の「仮」は、図書館が完成するまでの繋ぎとしての意味合いがあったろうと思います。

 ところで、詳しいことは第2回で述べますが、寄宿舎と仮図書室は大正5年の火災で焼失してしまいました。その被害を伝える読売新聞の記事には、「寄宿舎三棟」と「廿間の平屋建仮図書館一棟」が含まれています10。「仮図書館」と書かれていますが、これは仮図書室のことでしょう。仮図書室の大きさは20間ということで、「仮」というだけあって、それほど大きな建物ではなかったようです。

図書主任について

図書主任の記載(『日宗新報』1100)
図書主任の記載(『日宗新報』1100)

 仮図書室の完成より10日ほど前の4月7日、日蓮宗大学の学則改正が施行されています。この改正で「図書主任」の役職が新たに設けられました11。図書主任の仕事は、上司の指示に従って資料の保管や出納を行うというものです12。請求された資料の出し入れをする、今でいうところのカウンター業務も行っていたことが分かります。

 図書主任が学則に明記されたのは明治43年ですが、実は、最初に主任となった向井教遠氏が職に就いたのは、明治42年11月15日のことでした。図書主任の役職は、仮図書室の完成に合わせて学則に記載されたのではないかと推測されます。正式な役職とする前に任命したのは、仮図書室を開く準備を行うためだったのかもしれません。すでに述べたように、明治42年6月の段階で、仮図書室が寄宿舎に増築されることは決定していたからです。

 ここで、図書主任(大正9年の学則では図書係)13となった人達の名前を確認しておきたいと思います。古い学生要覧には、要覧が発行された年までの歴代教職員の名前が役職ごと記載されています)14。それを手がかりに作成したのが以下の表です。在職期間の情報は要覧に記載がないため、『大崎学報』や『月刊宗報』の記事で確認しました。ただし、何人かの就任記録は確認できませんでした。その場合、在職や辞職などの関連情報を記載しました。

図書主任の記載(『日宗新報』1100)

 
氏名
就任年月
典拠
1向井教遠 明治42年11月15日。『大崎学報』11(1909.12)
2塩崎玄仁明治43年2月19日。『大崎学報』12(1910.6)
3中込湛隆 就任記録未見(明治44年2月27日、朝鮮布教のため退学)。 『大崎学報』18(1911.7)
4望月歓厚明治44年5月12日。『大崎学報』18(1911.7)
5高田惠忍就任記録未見(辞職は大正4年)。『大崎学報』39(1915.5)
6浅井要麟就任記録未見(大正4年5月4日時には在職)。『大崎学報』43(1916.2)
7石川海典大正7年4月29日。『月刊宗報』18(1918.5)
8塩田義遜大正8年12月8日。『月刊宗報』38(1920.1)
9小林是恭就任記録未見(前職、塩田氏の退職は大正10年)。『大崎学報』60(1921.8)
10鈴木一成大正11(1922)年4月。『大崎学報』117(1963.12)

 図書主任となった人達のその後を調べると、塩崎玄仁氏と中込湛隆氏を除いて、いずれも立正大学の教授となっていたことが分かります15。また、望月歓厚氏や小林是恭氏・鈴木一成氏は、後に立正大学図書館長も勤めています(望月氏は14代学長も歴任)。図書主任の経験者の多くは、その後も図書館を利用し続けていたことでしょう。  

大檀林時代の図書課

日薩大僧正記念書籍に押印された印。

 ここまで見てきたのは日蓮宗大学時代の動向でしたが、それ以前の資料の管理はどうなっていたのでしょうか。結論から言うと、現状では詳しいことは分かっていません。ですが、立正大学の起点となった明治5年の小教院も教育機関なので、その頃から図書室に当たるものは存在したと考えるのが妥当でしょう。

 大檀林時代の話ですが、明治26年から27年8月31日の間に16、新居日薩氏を紀念して蔵書の寄付をつのったことがありました(「故日薩大僧正記念義損書籍募集広告」)17。その募集の広告には、蔵書を「大檀林図書課」に保管して学生に貸出す旨が書かれています18。この図書課が、資料を管理していたのではないでしょうか。

 明治29年7月3日に宗令第4号として布達された「宗則四号学則附録林内規則」の第6章には、「図書器機管理規則」という項目があります19。この第57条に、新たに購入したり寄付されたりした図書は原簿に登録番号を付し、「林印」を押印すること、とあります。現在、古書資料館には、この「林印」に該当しそうな印が押された資料が複数残っています。それが下記に掲載した「日蓮宗大檀林圖書記」などの印です。印の他にも「([門]外不出)大檀林圖書部」(図参照)と刷られた紙が、表紙右肩に貼られているものもあります。このことから、大檀林時代には図書課(あるいは図書部)が蔵書の管理をしていたことが分かります20

 ところで、先の林内規則の56条を見ると、「図書」の管理責任は林長と寮監書記による分掌となっています。どうやら、日蓮宗大学時代の図書主任のように、独立した責任者はいなかったようです。そう考えると、図書主任が置かれた明治43年は、蔵書を管理する専門の役職が設置されたという点において、大学の図書館史の中でも重要な年ということが言えそうです。

参考文献

日蓮宗事典刊行委員会編『日蓮宗事典』(日蓮宗宗務院, 1981.10)
安中尚史「近代宗教教育に関する一考察—日蓮宗大学林設立について」(『日蓮教学研究所紀要』18, 1991.3)
安中尚史「近代宗教教育に関する一考察(その二)—日蓮宗大学林から立正大学への昇格について」(『日蓮教学研究所紀要』19, 1992.)

  1. 近年のものには『立正大学の120年』(立正大学学園, 1992)、『立正大学の百四十年』(立正大学学園, 2012)がある。
  2. 大学の動向については、『立正大学の百四十年』(立正大学学園, 2012)の「立正大学略年表」に従う。
  3. 明治42年6月1日付の「第四宗会紀念事業大学図書館設立趣旨」(『大崎学報』10, 1909.7)による。
  4. 「大学図書館設計概要」「起業順序及規定」を参照(『大崎学報』10, 1909.7)。
  5. 「本学月報(日誌摘要)」(明治42年11月~同43年5月)の明治43年5月15日に、「創立第七回紀念陸上大運動会を本学構(ママ)内運動場に挙行し兼て正門道路開通式、正門捧献式、図書館地鎮祭を修す」とある(『大崎学報』12, 1910.6)。
  6. 「教務月報」(大正2年5月~12月)の大正2年11月13日に「図書館敷地の整理を為す」とある(『大崎学報』32, 1914.2)。
  7. 「教務月報」(明治44年6月~11月)の明治44年7月24日に「大阪市室木智鶴尼より図書館建築費寄附」(『大崎学報』20, 1911.12)。
  8. 「寄宿舎増築案(宗務院評議員会可決)」(『大崎学報』10, 1909.7)による。
  9. 「本学月報(日誌摘要)」(明治42年11月~同43年5月)の明治42年3月5日に「図書室研究室編纂室上棟」、同年4月16日に「仮図書室閲覧室研究室等竣工」とある(『大崎学報』12, 1910.6)。
  10. 『読売新聞』大正5年3月9日(朝刊)。
  11. 「宗令第一一四号」に「私立日蓮宗大学々学則中改正」(同年4月7日施行)があり、その中の第50条に関し、「『書記一名』ノ次ニ『図書主任一名』ノ六字ヲ加フ」とある(『日宗新報』1100, 1910.4.21)。
  12. 第60条に「図書主任ハ上長ノ指揮ニ従ヒ図書ノ保管及ビ出納ノ事務ニ従事ス」(『日宗新報』1100, 1910.4.21)とある。
  13. 『日蓮宗大学一覧 大正九年四月現在』(日蓮宗大学、1920.10)によると、図書主任は大正9年の学則で「図書係」とされており、定員は若干名となっている。
  14. 現存する学生要覧のうち、歴代の図書主任(図書係)が網羅されていると考えられるのは、『立正大学一覧 昭和二年六月一日現在』(立正大学史編纂委員会『立正大学史資料集』第1集〈立正大学学園企画広報室, 1995〉所収)。
  15. 小笠原毅堂「宗門史実談 古檀林と人と寺(二)」(『日宗新報』1417, 1917.12)に「大崎でも当節は、卒業生から助教も舎監も図書主任も採用して、段々と教授に昇せてをります」とある。図書主任も他の役職と合わせ、人材育成の一端を担っていたと思われる。
  16. 当初、7月31日までだったが、8月31日までに延期された。「新居書籍箱義損者第七回報告」(『日宗新報』537, 1894.8.8)による。
  17. 新居日薩氏(1830~1888)は、「故日薩大僧正記念義損書籍募集広告」(『日宗新報』519, 1894.1.30)によると、宗務院を設立し、諸檀林を開いて人材を育成した「宗門維新の中興者」とされる人物で、現在も立正大学の学祖に位置づけられている。義損書籍の経過については、薩和上遺稿事蹟編纂会編『新居日薩』(日蓮宗宗務院, 1937)の「余録 新居文庫経営の記」に詳しい。寄贈された蔵書の一部は現在も古書資料館に所蔵がある。詳細は第3回で述べる予定。
  18. 「広く義損書籍を募集し新居書籍函を新造し之を大檀林図書課に集め長く之を保存し以て薄資の学生に貸渡し聊か其興学の遺志を補はんとす」(『日宗新報』519, 1894.1.30)。
  19. 『日宗新報』604(1896.7.28)の「宗務院録事」による。
  20. 大教院時代の明治13年(1880)に出版された日明纂輯, 小川泰堂訂正『高祖遺文録』30巻の奥付には、「其印刷製本等ヲ許可スル事ヲ大教院書籍課ニ委託ス」とあるが、大教院書籍課が蔵書の管理をしていたかは不詳。

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