資料一覧

 

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1 東條小松原

 文永元年(1264)、病の母親を見舞うために故郷の安房国に帰った日蓮聖人は、地元の信者工藤吉隆に招かれ、屋敷に赴くことになりました。しかし、日蓮聖人の命を長年にわって奪おうとしていた地頭の東条景信によって、東条の郷松原大路で襲撃を受けてしまいます。馬に乗って襲う景信に日蓮聖人が数珠を持つ手で防戦する様子や、弟子の日暁(鏡忍房)が討たれて倒れる様子などが画かれています。

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2 鎌倉霊山ヶ崎雨祈

 鎌倉が大干魃に襲われた文永8年(1271)の夏、極楽寺の忍性は幕府から降雨の祈祷を要請されました。しかし忍性の祈祷は失敗におわり、かわって日蓮聖人が祈祷をすることになったのです。霊山ヶ崎に立った日蓮聖人は法華経を読誦し、第5巻に入ると黒雲が空を覆って雷が鳴り、さらに第6巻に至ると大粒の雨が空から落ち始め、三日三晩にわたって降り続いたとされています。

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3 相州龍之口御難

 忍性との祈雨対決以降、日蓮聖人はその行動や言動によって、幕府や諸宗派から命を狙われることになります。文永8年(1271)9月12日、松葉谷の草庵が襲われて日蓮聖人は捕らわれの身となり、佐渡流罪を名目に途中の龍口で頸を刎ねられることになりました。翌13日の午前1時ごろ、刑場に座らされて頸が刎ねられようとした瞬間、空からの光り物が大きく振りかざした太刀を直撃し、日蓮聖人は難を逃れるのでした。

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4 依智星降

 龍口での処刑を逃れた日蓮聖人は、名目通り佐渡に流罪されることになりました。佐渡への途中、ひとまず相模国愛甲郡依智にある佐渡守護代本間重連の屋敷に送られることとなります。重連の屋敷に到着した日蓮聖人は、その夜、庭に立って経文を誦えるとともに、天の月天子に向かって法華経の行者を守護しない理由を問いただすと、不思議なことに庭の梅の木に明星天子が現れて、これより先の守護を約束することになりました。

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5 佐州流刑角田波題目

 相模国依智を出発した日蓮聖人は、流罪の地佐渡へ渡たるために、小舟に乗せられて越後国寺泊から日本海へ出航しました。しかし、強風のため角田浜に漂着し、ここで一泊した後に再び佐渡へと向かったのでした。荒れ狂う日本海は容赦なく日蓮聖人を乗せた舟を襲い、あわや転覆しそうになったとき、海面に向かって「南無妙法蓮華経」と題目を書くと、不思議にも波は静まり、佐渡の松ヶ崎に無事到着することができました。

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6 佐州塚原雪中

 文永8年(1271)11月に佐渡へ配流された日蓮聖人は、塚原という場所の荒れ果てた小堂で厳しい生活を強いられるのでした。日蓮聖人を敵視する人はこの地でも多く、攻撃が仕掛けられることもありましたが、かえって論破され帰依するようになることもしばしばでした。人家を遠くに望みながら、雪深い塚原の道を歩く日蓮聖人の姿が画かれています。

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7 小室山法論石

 甲斐国小室にある金胎寺の住職恵頂阿闍梨(善智法印)は、修験・山伏の棟梁的人物で、法力を持つことで有名でした。ある時、恵頂は日蓮聖人の前で巨大な石を法力によって空中に持ち上げて見せますが、日蓮聖人は空中の石をそのまま縛りとどめてしまい、恵頂がどんな呪文を唱えても、その石を少しも動かすことができなかったということです。これを機に、恵頂は日蓮聖人に帰依することになりました。

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8 甲斐国石和川鵜飼亡魂化

 日蓮聖人が弟子をともない石和川を通りかかると、鵜飼の亡霊に出会いました。この鵜飼は殺生を禁止する流域で漁をしていたために、捕らえられて水底に沈められてしまったということでしたが、禁をやぶったとはいえあまりにも酷い仕打ちのため、亡霊となって土地の人を悩ましていたということでした。日蓮聖人はこの鵜飼を供養するために、法華経の経文6万9384文字を一文字ずつ書いて川底に沈めたということです。

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9 身延山七面神示現

 日蓮聖人が身延山で説法をしていると、一人の見なれない妙齢な美女が熱心に聴聞していました。弟子や檀信徒達が不審に思っていると、日蓮聖人はその女性に向かって本体を見せるように命じられました。そして花瓶の水を女性にそそぐと、たちまちに龍の姿となって、花瓶にまつわりつき、恐ろしい姿を現すのでした。この龍は実は七面山に住む七面天女で、身延山を守る法華経の護法神であったのです。

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10 上人利益蒙古軍敗北

 文永11年(1274)年と弘安4年(1281)の2度にわたって、日蓮聖人が予言していた通り、蒙古軍が日本を襲ってきました。対馬、壱岐を侵して島の人々をことごとく殺害し、ついに九州の筑前・肥前などから上陸を果たし、各地を襲撃しました。日蓮聖人がしたためたとされる「蒙古退治の旗曼荼羅」が掲げられる中で、兵士達の応戦する様子が画かれています。

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