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四本の柱 アショーカ王柱頭のこと

正門階段の上にそびえる四本の柱。その内側の2本の柱の上部に、4頭の獅子が背中合わせに表現されている彫刻がのっている。 言わずもがな、アショーカ(阿育)王の石柱の柱頭である。

アショーカ王(Asoka)は、古代インド・マウリヤ王朝の第三代の王。その治世は紀元前268年~232年の36年間にわたる。王は、南はインドの南端、西はアフガニスタンにおよぶ広大な地域を統一してマウリヤ王朝の名を轟かせた。
その統一の途上、王は即位の8年の後、カリンガ国を征服した。その戦闘は悲惨な結果を招き、捕虜15万人のうち10万人が殺害され、さらに兵士・住民の殺戮、数知れずの有様であった。それを眼前に見た王は、武力による征服を深く後悔し、法(仏教)による征服へと政策を転換したと伝えられている。

深く仏教に帰依した王は、釈尊の聖跡を訪れて供養するかたわら、種々の事業をおこした。婆羅門・沙門・長老に対する布施、人民への接見、殺生禁止、道路の整備、井泉の設置、療養所の建設、仏教以外の諸宗教の平等保護などを果たしたのである。
また、パータリプトラにおいて第三の結集を催し、さらに釈尊入滅後に建立された8つの舎利塔中、7塔を発掘してその舎利を8万4千の塔に分配して起塔した、と言われている。
王は、このような事業・政策の一端を岩壁・石柱。洞窟・石材に刻んだ。摩崖法勅・石柱法勅・洞窟院刻文・石文刻文と呼ばれ、今に伝えられている法勅がそれである。


正門にそびえる4頭の獅子の背中あわせに表現されている彫刻は、釈尊の初転法輪(はじめての説法の場所)の地と伝えられているサルナート(鹿野苑)から1904年に発掘されたものである。この彫刻は、現在、サルナートの遺跡博物館のメインホール中央に展示され、サルナートの象徴として多くの人びとに親しまれている。
円柱にのせられていたこの彫刻は、高さ150センチあり、獅子の下方に4つのの法論、そして獅子・象・牡牛・馬が浮彫りにされている。


円柱の上に乗せられていたこの彫刻は、インド国の紙幣の図柄として8億4千万人のインド国民が日常に目にしている。

サルナート石柱の柱頭が、何故、本学の正門に設置されているのであろうか。その発掘は、1967年から75年にかけて、本学が実施した釈尊の故城跡カピラヴァストウ(カピラ城跡)の発掘調査時に遡る。調査団長をつとめられた中村瑞隆(後に本学第22代学長)が、インド・ニューデリーのインド考古学調査局を訪問した帰途、局に隣接するインド国立博物館に立ち寄ったときのことである。
先生は、そこでサナルート石柱柱頭の石膏レプリカの譲渡について交渉された。それは誰でも入手することが出来ないもので、大学などの研究機関に限って頒布されるものであった。2年の後、無事に到着した柱頭レプリカは、学長室に寄贈された。実物の2分の1の精巧なものであった。開校120周年事業の大崎再開発にあたり、それを正門入口に掲げる提案をされたのは現学長渡邊實陽先生である。

仏教外護の転輪聖王(正義をもって世界を治める王)であったアショーカ王の精神は、石柱の柱頭に込められている。
仏教の象徴と目されているアショーカ王のサルナート石柱柱頭は、建学の基を仏教精神に求める本学にとって、まことに相応しい造形物と言えるであろう。ただ、残念なことは、唯一無二の、この聖なるサルナート造形物が二つに掲げられたことである。一つは、たとえば、ヴァイシャリの一頭の獅子の柱頭であったらとの望蜀の念が強い。

(文学部教授坂詰秀一著立正大学報フォーラム1993年春120周年記念号より)

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